参考資料 Keiko.com かつて、全米に物議を醸し、果ては世界的現象となったシャチがいました。
彼の名はケイコ(Keiko)。どういうわけか、
関係の無い日本の、それも女性名が付けられていた。
この名前が象徴するかのように、人間たちの身勝手な思惑・打算・好意により
ケイコはさんざん振り回された後に27年の生命を終えました。
彼の最後は幸せなものだったろうか?
人間たちはどうすれば良かったのか?
誰もが熟慮せずにはいられない彼の生涯を追ってみましょう。
◆ 1976年大西洋、アイスランド近海で生まれる。
(1977~78年生まれという説もあり)
◆ 1979年11月、アイスランドのレイザルフィヨルズル近くの海で捕獲される。
(中央がアイスランド、右下がイギリス、左がグリーンランド)
シャチは通常、群れで生活をする。
群れの単位は母親を中心とした血を分けた家族。
ケイコは
突然ここで家族たちと引き離されてしまうことになった。
そのままアイスランドのハフナルフィヨルズゥルにある水族館へ売られる。
◆ 1982年カナダのオンタリオ州にあるマリンランドへ売られる。
(この時、メスのシャチのキスカも一緒に売却されている)
ケイコが売られた理由は、年の若さと大人しい性格のため、
他のシャチたちに虐められていたからだという。
このマリンランドで、ケイコは初めてシャチのショー要員となる。
そして健康状態が良くないことを示す皮膚病が進む。
(キスカとケイコ。手前がケイコ)
◆ 1985年メキシコ合衆国の首都メキシコシティにある遊園地レイノ・アベントゥーラ(現在はシックス・フラッグス・メキシコに改名)へ35万ドルで売られる。
2月16日、空輸手続きでトラブルも貨物機でなんとかメキシコシティへ到着。
メキシコでは、
ケイコのショーが大きな呼び物となり興業的に大当たり。
彼は一日に5回のショーをこなした。
メキシコシティの子供達はケイコに夢中になった。
(超満員の中で行われるケイコのショー)
(子供がキスするまでじっと待つケイコ *´ω`)
だが、彼の水槽は深さ6m、長さ27m、幅13m(イルカ用のサイズ)だったうえに、水温は華氏80度(摂氏27度)と温かく人工の塩水でざっと塩素処理されただけのものだった。
レイノ・アベントゥーラでの生活はケイコの健康状態を悪化させた。
成体としても、かなり小さく弱い個体に育っていく。
◆ 1992年ケイコに最大の転機が訪れる。
レイノ・アベントゥーラでのショーを見たプロデューサーが、ワーナー・ブラザーズの映画「フリー・ウィリー」の主役として彼を抜擢し撮影を開始。
この映画のあらすじは、孤児の少年ジェシーと捕獲され水族館で飼育されるシャチのウィリー、似た境遇の彼らが心を通わせるが、水族館オーナーの陰謀でウィリーが処分されると知り、なんとか海へ帰すというもの。
◆ 1993年7月16日、アメリカで映画「フリー・ウィリー」公開。
予想をはるかに上回る大ヒットとなる。(製作費2000万ドルで興行収入は1億5400万ドルという8倍返し)
そうなると当然、ウィリーを演じたケイコにも注目が集った。
映画の中でウィリーは劣悪な環境の水族館と腹黒オーナーから逃れて海へ帰るが、
現実のケイコは撮影後どうなったのだろうか?
なんと元の遊園地に戻されていた。(ま、仕方のないことではある)
この理不尽な事実がメディアで取り上げられると大反響が起こった。
最初に反応した大半が子供達だったという。
自由の身となり自然の海へと帰ったウィリーに感動し涙しただけに、
狭い水槽、ぬるい水温、きついスケジュールのせいで遠からず病状が進んで死ぬだけの過酷な環境へ帰すというケイコへの仕打ちには、映画を観た誰もが欺瞞を感じたはずだ。
この状況に際して、心からケイコを可哀想に思う純粋な子供たちと、批判回避・収益・売名・同情などを計算する複雑な大人たちが出した結論は図らずも一致する。
「ケイコを自由にしてあげよう!」
(ケイコはまだ囚人のままだわ!)
こうして、ワーナー・ブラザーズやレイノ・アベントゥーラ遊園地、動物愛護協会、各専門家・研究者などなどが動きだし、大々的な "フリー・ケイコ" キャンペーンが展開されて行くことになる。
この時期、ケイコを助けようと様々な人たちが様々な提案をしているが、
故マイケル・ジャクソン氏もその一人だった。
映画「フリー・ウィリー」に曲を提供していたことで縁もある彼は、
ケイコをカリフォルニアにある彼のネバーランドへ引き取ろうかと提案した。
◆ 1994年ワーナー・ブラザーズと企業家クレイグ・マッコー氏(携帯電話産業のパイオニア)の高額寄付をもとに、ケイコをより良い環境へ移すこと、新たなホームを見つけることを目標とした
フリー・ウィリー/ケイコ基金が設立された。
同基金には世界中の無数の子供達からも寄付が寄せられるようになる。
(小学校に置かれた募金箱。ケイコは世界的な社会現象へなっていく)
数ヵ月かけても条件を満たす水槽のある施設が見つからなかったため、
ケイコの為だけに新たな水槽建設を決定。(伝染性の皮膚病を患っていたケイコは専用水槽が必要だった)
その建設地はニューポートにあるオレゴンコースト水族館とした。
ケイコが自然の海で生きていけるだけのリハビリを目的としたこの施設には、
730万ドルの費用がかけられたという。
(建設中の水槽施設。かなりの大規模)
(人体との比較でこの巨大さが分かってもらえるだろうか)
◆ 1995年レイノ・アベントゥーラ遊園地が、ケイコ基金にケイコを寄贈する。(所有権の譲渡)
同基金はケイコをオレゴンコースト水族館に新造中のリハビリ施設へ移すことを正式に発表。
7月19日、アメリカで続編となる映画「フリー・ウィリー 2」公開。
(ウィリー役は
アニマトロニクスを使った)
評論家たちからの意見は
ほとんどが不評で興行収入も3000万ドル程度だった。
11月14日、「フリー・ウィリー 2」のホームビデオ(VHS)が発売される。
同ビデオの中でケイコ基金への寄付を呼びかけた。
12月、ケイコのリハビリを行う水槽施設がついに完成。
(説明は省きますが様々な機能を備えまくってます)
◆ 1996年1月7日、ついにケイコがメキシコを離れる日がやって来た。
午前5時発の飛行機に乗せるため、レイノ・アベントゥーラ遊園地では午前1時頃から移送作業を開始。体重3.5トンのケイコを専用コンテナへ移す作業にはひときわ注意が払われた。
(水分を拭き取りワックスを塗った後に特注担架で吊られるケイコ)
深夜にも関わらず、同遊園地には2万7000人以上の人々が、
ケイコにさよならを告げるために集まっていた。
さらに、空港までの沿道には
10万人もの人たちが並び、
トレーラーで移送されるケイコに手を振り別れを惜しんでいた。
(ケイコを乗せたトレーラーが遊園地を出るとメディアとファンが押し寄せる)
(別れの意味も知らぬまま笑顔で手を振る幼児)
(メディアの前で泣き崩れる少年)
(中年だって泣くさ。人間だもの・・・)
(ケイコのトレーラーを追う謎のマスコットが入魂のラストダンス)
ケイコを見送る人々からは「ケイコ!ケイコ!」の大合唱と手拍子。
まるでパレードのような騒ぎは空港まで続いたという。
計20時間のフライトの後、UPS(米国最大の小口貨物輸送会社)はケイコをニューポートのオレゴンコースト水族館へ無事に届けた。
小さな港町ニューポートにもメディアがこぞって駆けつけ、住民たちもケイコを大歓迎した。
この "ケイコのお引っ越し" は衛星中継までされている。
そのテレビ視聴者数は
7億5000万人に上った。
俄かに信じがたい数字だが、ともかくこの時のケイコがどれほど世界中から注目を集めていたかが伝わってくる逸話だ。
(ニューポートの空港でケイコが乗った飛行機の着陸を報道するメディア)
(空港から水族館への沿道でケイコを歓迎する地元住民)
この際、メキシコの遊園地でトレーナーとしてケイコと一緒に過ごしていたカーラとナレータの女性二人もオレゴンへ同行し、そのまま現地でのリハビリに参加している。
天然の海水を汲み上げるケイコ専用の水槽で、彼は
十数年ぶりに海水を経験する。
その海水は故郷アイスランドの海のように冷やされていた。
とても心地良いこの水槽でケイコのリハビリが始まる。
9月~12月にはケイコの健康状態は目に見えて良くなった。
体重も1000ポンド以上増加。(約500kg増)
皮膚病でただれたような肌もずいぶん綺麗になった。この年、ケイコはライフ誌の表紙を飾った。
各主要メディアでもトップで報じられた。
ディスカバリーチャンネルでは「The Free Willy Story」が放送された。
待ちに待ったハリウッドスターの到来に
アメリカは沸き立ったのだ。
オレゴンコースト水族館にはケイコ入館以降、200万人を超える客が押し寄せることになる。
(オレゴンでもやっぱりケイコは大人気)
◆ 1997年1月、皮膚障害はほぼ全て消え、潰瘍も無くなった。
心臓血管の状態と全体的な筋緊張の状態も劇的に快復。
6月までにケイコの体重は9620ポンド(約4.4トン)になっていた。
(メジャーを咥えて身体測定を手伝うケイコ。可愛いすぎる)
5月からリハビリスタッフが生きた魚を定期的に水槽へ放つ。
ケイコが初めて魚を捕えた時、トレーナーの女性に返してしまったという。
しかし、8月には捕まえた魚を食べることを覚えた。
これらの成果に自信を持ったフリー・ウィリー/ケイコ基金は、
1998年にケイコを北大西洋に解放するという目標を掲げた。
(野生のシャチの映像を見てイメージトレーニング)
◆ 1998年様々なテストを重ねてきたリハビリチームは、もうケイコを海に戻しても大丈夫だと判断した。
9月9日、ケイコがアイスランドへ移送される。何千人ものファンと546人のジャーナリストが彼を見送った。
フリー・ウィリー/ケイコ基金はケイコの空輸を
米空軍に依頼していた。
第15空輸飛行隊に属するC-17(グローブマスターIII)機がその任にあたる。
これだけ大きな貨物を積み、かつ短い滑走路で離着陸できる唯一の航空機だ。
(こういうことに軍が普通に動くアメリカ)
(その是非は置くとして正直ちと羨ましい)
(災害時でも迅速に動かせてもらえない自衛隊が不憫なだけに・・・)
ケイコを乗せたC-17機は、アイスランド本島から南海上10キロに位置するウェストマン諸島(ベストマナエヤル:Vestmannaeyjar)へ直行する。
8時間のフライトの後、ウェストマン諸島最大にして唯一の有人島であるヘイマエイ島に到着。
(ウェストマンは西洋人のこと、アイルランドの修道士が最初に住んだ島という伝承から名づけられたそうな)
着陸の際、C-17機のランディングギアが故障し難儀するもケイコは無傷だった。
この故障は100万ドルを超えるダメージだったという。
ケイコはヘイマエイ島のクレッツビク湾に設置された長さ75メートル、幅30メートル、深さ7.5メートルの浮囲いに放される。
(クレッツビク湾はアイスランドのシャチの回遊ルートに近かった)
(広さ的には湾というより入り江って感じかな)
(ケイコの新たな家、かなり確りとした造りの特注生けす)
まずはこの生けすから、最終的には外洋で仲間たちと暮らすためのトレーニングが開始された。
湾内とはいえ、ともかく故郷の海へケイコは帰って来た。
実に19年ぶりのことだった。
(ヘイマエイ島の全容。現代のポンペイとして有名)
◆ 1999~2001年生けすでのトレーニング、野生へ戻るための最終リハビリが続けられる。
ケイコの行動範囲は、生けすの中、出口を仕切ったクレッツビク湾、そこから北大西洋にも連れ出すという段階を踏んで広げられていく。
訓練の中で最重要項目の一つが、これまで
水面上だったケイコの注意・興味を水面下へ向けさせることだった。
そうすることで、世話をやく人間への依存を減らし自然環境への関心を育てていくのだ。
外洋に出ても居場所が分かるようケイコに追跡装置が取り付けられる。
ケイコの "海の散歩" は驚くほど順調に進歩した。
生け簀の近くにやってきた野生のシャチたちと交流すらするほどに。
彼の健康状態とスタミナも向上し野生に戻れるレベルへ近づく。
2000年3月、生けすのゲートが開かれケイコのリハビリ場がクレッツビク湾全体(約74300平方メートル:福岡ドームより少し広い)になる。
ケイコは2歳で捕獲されて以来、初めて自由を味わった。
(赤Xの場所がクレッツビク湾)
2000年5月、トレーナーに導かれ
ケイコがついに大西洋へ泳ぎ出る。
当初の予定ではもうしばらく様子をみてからになっていた。
しかし、まだ拠点としている湾内の生けす近くで建設工事(シャケの養殖場)が行われ水中でダイナマイトが使用されるため、ケイコの聴覚がひどく損なわれる可能性があり、やむなく計画の前倒しとなった。
2000年7月、ケイコが初めてシャチの群れに近づいていった。
だが、そのまま行動を共にすることはなく群れから離れ、スタッフの監視船からも離れここ数ヵ月の行動範囲からも遠く離れて単独で10時間ほど泳ぎ回った。
2000年9月、タイム誌の国際版にケイコの野生復帰に懐疑的な特集記事が載った。
一人のトレーナーがケイコは自分で餌を取ることができないと語っている。
2001年5月、この年の外洋での訓練が始まった。
ケイコの野生復帰を支援しているオーシャン・フューチャーズ協会(OFS)は、
「我々が把握したのは、ケイコは外洋でも上手くやっていけるということ」
「ケイコを注意深く観察するために
監視船2台とヘリコプター1機を使用している」と報告。
(船はともかくヘリまで使ってたのか。そりゃ金がかかるわ)
2001年6~7月、ほぼ毎日ケイコは野生のシャチたちと交流した。
この夏、クレッツビク湾から北大西洋への旅を60回以上こなすと、ケイコは野生のシャチに対し2000年のときよりもはるかに多くの関心を持つようになる。
ケイコは1日に何度も野生のシャチたちと交流し、明らかに楽しみながら一緒に泳いだり追いかけっこをした。ケイコと野生のシャチが喧嘩することは一度もなかったという。
2001年8月上旬、夏季の研究と一年中24時間体制のケアを行ったコストは、
年間300万ドル(約3億6000万円)に達した。クレイグ・マッコー氏の寄付金は大幅に減額され、オーシャン・フューチャーズ協会はケイコを自然の海へリリースする努力を続けるには一般の人々からの寄付が必要だと訴えた。
2001年8月、同協会はこれまでの活動を可能にしてきた監視船、ヘリコプター、研究者の数を維持できそうにないと発表。
2001年11月9日、同協会はこのケイコ・プロジェクトに現在まで費やされたコストはおよそ2300万ドルに上り財政難であること、
ケイコの未来はアイスランドのどこかで観光客を出迎えることになるかもしれないと発表。
「我々は資金繰りの方法を見つけなければならないんだ」
オーシャン・フューチャーズ協会代表のチャールズ・ヴィニック氏はそう語った。
このプロジェクトにはピーク時で25人がアイスランドで活動していた。
◆ 2002年春、ケイコ・プロジェクトの運営管理がオーシャン・フューチャーズ協会から
米国動物愛護協会(HSUS)へ移った。アメリカ人のスタッフ14人全員がプロジェクトから外れ、代わりにナオミ・ローズ博士が率いるHSUSの職員たちが加わった。野生のシャチの生態・習性に詳しい生物学者がこのプロジェクトに参加したのは実にこれが初めてのことだったという。
ウェンディー・マッコー財団はこの取り組みに対し40万ドルを寄付した。
(クレイグ・マッコー氏の元妻で98年に離婚。貰った慰謝料は4億6000万ドル・・・)
7月7日、アイスランド首相ダヴィード・オッドソンが表敬訪問した後、
ケイコは監視船に付き添われながらウェストマン諸島を離れる。
これがこの年で初めての大西洋散歩であり
初めての長い冒険の始まりだった。
7月11日午前2時、ケイコは監視船から離れ80~90頭のシャチの群れに近づいていった。
7月15日、一時ケイコは湾内の生けすに帰ったが翌朝には再び外洋へ出る。
もしかしたらこの時、ケイコはこれまで世話になってきた人間たちへ別れの挨拶をしに来ていたのかもしれない。
ケイコがこの家に帰ることは二度となかった。7月27日、シャチの群れの中で泳ぐケイコが写真に撮られる。
彼らは長い時間を共に過ごしたかのような親密さだったという。
7月30日、仲間たちと一緒にいるケイコが再び目撃される。
衛星タグセンサーからのデータで水深75m以上潜っていることも確認された。
8月20日、ケイコはフェロー諸島の北東322km、シェットランド諸島の北241km、ノルウェーの最も近い部分から306kmの位置にいた。これは前日から72km移動した場所だ。
(赤丸の付近だと思われます)
米国動物愛護協会は今日までにケイコは
野生の海で45日間過ごしたと発表。
ケイコのフリーダム・クエストは日々新たな1ページを刻んでいる、と。
ケイコは立派に一人立ちしたぞ、俺たちはやり遂げたぞ、そんな自信に満ちた報告。
恐らくこれは彼らの勝利宣言だった・・・
ついにケイコは野生に帰りました!ここまで本当に長かった。(管理人的にもw)
しかし、その甲斐あってケイコはシャチ本来の生き方に戻れたんだ。
こうして人類史上最大規模のキャッチ&リリースは完遂された・・・・・・
かに見えたんだ。(´・ω・`)
夏を通じ北大西洋で自由を満喫していたケイコが、予想外の行動に出る。
9月1日、この日は日曜日だったので、アリルド ・ビルイェル・Neshaug氏(35)はノルウェーのムーレ・オ・ロムスダール県ハルサ村のSkaalvikフィヨルドで息子のハーバード(13)と娘のハンナ(12)ともう一人の少年(娘の友達?)の計4人で木製の手漕ぎボートに乗っていた。
そこへ何の躊躇もなく近づいて来たのがケイコでした。
(ケイコの出発点と到着点の直線ルート)
「俺たちはみんな怖くてビクビクしてたよ」
「このシャチが俺たちを襲おうとしてるのか単に挨拶をしたいだけなのか分からなかったし、キャビンドック(舟を泊める桟橋)まで俺たちのボートを追って付いて来くるんだから」
Neshaug氏はメディアの取材に対しこう語っている。
「だけど、彼はただ俺たちのそばにいて、これ以上ないってほどフレンドリーだった。もの凄く遊んで欲しそうに見えたから背中を撫でてみることにしたんだ。それからは直ぐだったね。子供たちは釣ったばかりのサバを彼にあげて、一緒に泳いだり彼の背中に乗りさえした。こんな光景はこれまでの人生で初めて見たよ」
(なんとなくETを思い出したw)
(さすがケイコ、2人乗っても大丈夫!)
「あのシャチは完全に人に慣れているようだった」
「文字通り、愛情に飢えているって感じだったな」
翌日の月曜日になってもケイコはボートの近くに留まっていた。
Neshaug氏と家族が投げ入れる魚を美味しそうにムシャムシャ食べたという。
ケイコがノルウェーに現れたニュースは瞬時に世界を駆け巡る。
人口約2000人の小さなハルサ村には、ヨーロッパ中から何千人もの見物客が続々と押し寄せて来てケイコはたちまち人気者になった。
(左: ムーレ・オ・ロムスダール県 右: 同県ハルサ村の位置)
4年ぶりに大勢の人間に囲まれたケイコはどう思ったろう?鬱陶しくなってきたからぼちぼち仲間のシャチを探しに行こうか、
それともここで人間たちと一緒に過ごそうか・・・・・・
Skaalvikフィヨルドには彼の行動を縛る生けすも関も無い。
どうするかはケイコの自由なのだ。
彼は人間との束縛と飼育、仲間との自由とサバイバルを経験している。
そのうえでケイコは自分で選択した。
人と共に生きることを。ハルサ村のフィヨルドで人間と過ごすケイコはとても楽しそうだ。
彼は住人や見物客たちと触れ合い、時には芸も見せたという。
その一方、
これまでケイコと深く関わってきた人たちはどう思ったろう?フリー・ウィリー/ケイコ基金と米国動物愛護協会の現場スタッフは、ケイコ出現のニュースを知るやハルサ村に駆け付けた。現地でのケイコ・フィーバーを尻目にスタッフの中の獣医がケイコの診断を行う。60日間の野生暮らしと1600km以上の移動の後でもケイコは頑健で体重も全く減っていなかった。
ここで彼らも選択を迫られることになる。
ハルサ村のフィヨルドに自ら留まり楽しそうなケイコをそっとしておくか、
それともあくまで野生に戻す活動を完遂させるか・・・・・・
彼らは迷うことなく選択した。
ケイコと人間を引き離すことを。彼らは超特急でノルウェー政府と交渉している。
そして同政府は、ケイコが熱狂的なファンたちに "殺されるほど愛される" ことがないよう保護するという理由から、ケイコの
50m以内に近づいてはならないという接近禁止令などの法令を制定した。これはケイコがノルウェーに出現した僅か4日後(9/5)のことだった。
この早業にはケイコ・プロジェクトの面々の焦燥が伝わってくる。
それも分からなくはない。
野生復帰という目標のためにこれまで何十億円(2000万ドル以上)という莫大な寄付金を費やしてきた。寄付をしたセレブたちや世界中の子供たちの期待と面子を背負っている。そしてもちろん、自分たちの名声や責任問題にも関わってくる。
さらに言えば、この年(2002)の春からオーシャン・フューチャーズ協会から米国動物愛護協会にプロジェクトの主導権が移っている。動物愛護団体たる彼ら自身が野生に帰したはずの自慢のシャチが人間に餌をもらう半飼育状態の見世物としてフィヨルドに棲みつくという事態は、彼らには耐えがたく容認できるはずもない・・・
もうプロジェクトの失敗など許される段階ではなくなっていた。
ケイコが何を望むかなど二の次という複雑に歪んだ実情があるだけだった。
こうしてケイコは人と泳ぐことも触れ合うことも餌をもらうこともできなくなってしまった。
「これまで一緒に遊んでくれた人間たちが、突然、遠巻きに自分を見てる。
どうして? ほらほら遊ぼうよ? ねぇ・・・?」
その時のケイコの心情を想像するとかなり切ない。(´・ω・`)
(ただ人との共存に危険があることも確か。カナダのヌートカ湾に迷い込んだシャチの子供ルナは湾内に棲みついたが4年後に船のスクリューに接触して死んでいる)
9月12日、Miami Seaquarium(マイアミ水族館)がフィヨルドにいるケイコを捕獲、米国へ輸送し同水族館が保有・飼育する許可をノルウェー政府に申請した。この無謀な申込みは全世界から顰蹙と冷笑を買うだけの結果に終わる。
11月7日、ケイコがタクネス湾へ誘導される。真冬にはSkaalvikフィヨルドが凍るかもしれないという理由で、
10km先の冬でも凍結せずに魚が多くシャチの回遊ルートでもあり、
人里からより離れている同じハルサ村内の湾に移動させたのだ。
ケイコのスタッフたちは地元農民によって修理された近くの家を拠点とした。
タクネス湾はボート進入禁止となり、浜辺には囲いが設置された。
ケイコは見物客が以前よりも減った同湾で、それでも人との生活を望んだようだった。
どうするも自由だったのに、ここから去って行かなかったのだから。
◆ 2003年この年に何が起こっていたのか資料が乏しく良く分からない。
しかし、ノルウェーのタクネス湾には例年なら2月頃にニシンの群れとそれを捕食するシャチの群れがやってくる予定だったが、4月になっても来なかったというブログ記事があった。
(海水温の上昇の影響でそうなることがあるらしい)
また、8月にアップされたメディア記事によれば、タクネス湾にはそれでも毎日200~400人の見物客がいたようだ。そこは、人に飼育されたシャチを野生に戻すための実験場というよりも、低予算で作った "
ケイコ・ランド" 的な風情だったという。
スタッフたちが拠点にしている小屋ではケイコTシャツまで販売されていたらしい。
(タクネス湾でトレーナーとの訓練に励むケイコ)
仲間が来なかったせいか、単にもう仲間と暮らす気が無かったのかは知る由もないが、ケイコはこの年もずっとタクネス湾に棲みついていた。その最後の日まで・・・
12月12日、ケイコ永眠。(推定)27年の生涯を終える。
シャチの平均寿命35歳より8年も早く死を迎えた原因は急性肺炎だという。
ケイコ・プロジェクトの現地スタッフはこの前日、ケイコの体調不良に気付いていた。
不活発な状態で食欲も低下していたようだ。
その処方として獣医のスタッフが抗生物質を投与。
しかし当日の朝になってもケイコの様子はおかしく呼吸も不規則だった。
そして夕方早く、
ケイコは唐突に浜辺へ自らの体を打ち上げてから死んだ。
ケイコは死期を悟ると仲間のいる外洋ではなく人間のいる陸地へ向かった。
これがシャチの習性なのか単なる偶然だったのか自分には分からない。
ただ何となく、この行為にケイコの思いが詰まってる、そんな気がした。
(ケイコが晩年を過ごしたタクネス湾)
フリー・ウィリー/ケイコ基金とその支援団体たちのプロジェクト推進派、そして彼らと対立し批難していたプロジェクト反対派にとって、突然の病死というケイコの最後は
玉虫色の決着となった。
ケイコの死後、お互いが自らの正当性を主張しあったのだ。米国動物愛護協会の広報担当ニック・ブラーデン:
「ケイコが活力不足の兆候を見せたので獣医が抗生物質を与えたが、深刻な状態には見えなかった。シャチは突然死んだりすることがよくある。我々にはどうすることもできなかった。この訃報には本当に胸を痛めている。しかし、我々はケイコに野生へ帰るチャンスを与えたと強く信じている」
フリー・ウィリー/ケイコ基金のデイビッド ・フィリップス事務局長:
「我々は最も困難な対象、メキシコで死にかけていたケイコを、野生のシャチと一緒に泳がせてあげるためにノルウェーの海まで連れて行った。ケイコは大勢いた反対派の人々が間違っていたことと野生復帰の試みは上手くいくことを証明した。それこそが重大なことなんだ」
これに対し反対派の人たちの意見は概ね以下のようなものだった。
「たった一頭のシャチのために巨額の寄付を浪費した挙句に失敗した」
「2歳の頃からずっと人間に飼われていたのに野生に戻れるわけがない」
「ケイコはやっと今、真の自由を得た」
この論争に今さら首を突っ込むつもりはないが・・・
どうしても引っ掛かることがある。
プロジェクト推進派はケイコの病死によって救われたように見えるんだ。
上述したように、ケイコ基金は2001年頃から資金難であることを何度も訴えていた。
2002年に運営管理がOFSから米国動物愛護協会に移ったのもそれと無関係ではないだろうし、人員・設備も縮小を繰り返していたようだ。そんな中、2002年7月にケイコがとうとう野生の海で自立する。推進派は成功を喜ぶと同時にやっと終わったとホッとしただろう。ところが、6週間後にノルウェーでケイコが人間と楽しそうに遊んでるところを発見される。しかも、棲みついてしまって1年以上経っても外洋へ出て暮らそうとしない。これには推進派もかなり困惑したと思う。
「いつまでノルウェーでケイコの世話を続けるんだ? 来年?再来年? そうなったらもう野生復帰は失敗だったと批判されるに決まってる。そもそも人々の関心が薄れてどんどん寄付が減っているから活動資金がもつかどうか・・・・・・だが今さら止められる訳がない!」
という感じで
出口の見えない袋小路にハマった心境だったのでは?
そんな状況でケイコは急死した。
現地でケイコのトレーナーを務めていて死の当日は休暇中だったベアード氏によれば、2日前まではピンピンしていて全く体調に問題はなかったという。
これ以上は妄想・邪推の類になるので止めておく。
ただ、このプロジェクトはケイコ基金のフィリップス氏たちが言ってるような成功では決してなかったと思う。
ノルウェー政府はケイコの遺体を海へ帰すか陸に葬るか協議した。
通常、海洋哺乳類の死体は沖合の海へ沈めるが、多くの要望にこたえタクネス湾の岸から10mの草地(ケイコが死んだ場所の近く)に埋葬することを決議した。
死の二日後(12/14)、ショベルカーによって掘られた長さ9メートル深さ4.5メートルの墓穴へケイコは夜中にひっそりと葬られた。参列者はケイコのスタッフ3人と地元住民4人(埋葬作業員らしい)の
僅か7人だけだったという。
何故このような密葬にしたのか理由が分からない。メディアの報道合戦を避けるためというのが一般的な見解だが、これまでメディアをさんざん利用してきたのに葬儀だけは別というのは腑に落ちない。
ケイコの遺体を見せたくなかったのではと勘繰りたくなる。
(2010年3月1日放送のラリー・キング・ライブで、 Sea World30年勤務のベテラントレーナーが、ケイコの死因は餓死で500kg近く痩せ衰えていたと語っている)
◆ 2004年~現在2004年1月8日、ハルサ村は300人の子供達を招待しケイコの眠る場所で追悼式を行った。
子供達は持ち寄った石を積み上げ伝統的なCairn(ケアン:石塚)を作った。
この年、ケイコの訃報を聞いた哀悼者5000人が世界中からこの石塚を訪れている。
彼らの中にも、それぞれの思いをメッセージとして描いた石を積んだ者たちがいた。
(エクアドルやブラジルからのメッセージも)
(2004年6月、少し大きくなったケイコの石塚)
そして時は流れ・・・・・・
人々の記憶からケイコは風化して行く。
3年後の2007年にケイコのもとを訪れたのは9割減の500人ほどだったという。
それでも、彼の石塚は風化することはなく、むしろ大きくなっていった。
(2007年、人々が積んだ石はついにケイコの体ほどになった)
(大きさだけでなくその "重み" もケイコの体に負けないはずだ)
しかし・・・・
ハルサの
英語wikiページにはこう記載されている。
2008年6月にハルサ村はケイコの墓参りに来る観光客がほとんどいなくなったという理由で今後は墓所の整備をしないことを決議した。
これが事実なら現在はもう荒れ果てているのだろうか?訪れる者もなく、管理する者もない・・・
現実は往々にしてそういうものだ。
だが、下手をしたら石塚だけでなく、再開発の名のもとに
遺体を埋めた土壌ごとどうにかなってる可能性もあるだなんて、あまりにも寂し過ぎるじゃないか。
堪りかねて、ここ最近のケイコの石塚の画像を探しまくった。
しかしどうしても見つからない。(´・ω・`) ダレカオネガイ
ただ、石塚ではないがケイコの墓所を示す道路標識を見つけた。
2010年9月30日に撮影したものだそうだ。
(3km先ケイコの墓)
この様子なら現在もケイコの石塚はハルサ村の小さな観光名所なのだろう。
だからきっと今もケイコは眠っているはずだ。
8歳の少女が奏でるハーモニカを聴くのが好きだったノルウェーの海辺で。
管理人によるケイコ物語はこれで終わりとなります。
最後までお付き合いいただき有難うございました。
少々長くなりましたが、これでも調べたことの6割程度しか書いてないんです。
もちろん管理人の知らないエピソードも無数にあることでしょう。
ですので、およそこういう流れだったという程度にご記憶ください。
そして、この物語から何かを感じとって頂けれは幸いです。
管理人もまとめてる内にいろいろと思うところはありました。
人間はケイコから奪い、与え、与えたものをまた奪い、今度は別のものを与え、
そしてまたそれを奪う・・・そんな勝手なことの繰り返しだった。
それでもケイコは、そんな勝手な人間のことを最後の最後まで好きだったんじゃないかと思えてならない。ハルサ村のフィヨルドで地元民や見物客と楽しく暮らさせてあげた方が幸せだったんじゃないかと。
ま、これも人間(管理人)の勝手な思い込みです。
だがそれでも・・・と思ってしまうんですよね。
ほんと度し難いことですが。
さて、ケイコ物語は結末を迎えましたがこの記事はまだ終わりません。O_O
だって記事タイトルにもちゃんと書いてあるでしょ。
「世界一有名になったシャチの生涯と
謎を追ってみた」
そうです。まだ謎の方が残ってるんです。(笑)
いやいやいや大丈夫。ここからはサクサクと巻きで行くから。たぶん・・・
まず、謎って何のことだ?って話ですが、
むろんケイコ(Keiko)という名付けのことですよ。年表を見てもらった通り、日本なんてどこにも出てきませんよね。
それなのに何故ケイコという名前が付けられたのか?
「わたし、気になりますっ!!」
某アニメならここで美少女が盛り上げてくれるレベルの謎です。
しかし残念ながら当ブログにはそんな好奇熱ガールは存在しないので、
管理人が独り寂しく謎を追ってみることにしました。(ノ∀`)
まずは簡単な所から探してみると、ケイコの日本語wikiページで情報発見。
もとは日本の水族館へ送られるために捕獲されたはずだったが、その水族館がすでに他の国からシャチを購入していたため、カナダのオンタリオ州の水族館へと転売されてショーのための芸を仕込まれ始めた。[source]
ケイコが日本に来てたかもしれないのか!!彼の生涯を振りかえってきた分、これは感慨深いものがあるなぁ。
運命の綾みたいなものを感じずにはいられないよ。
よし、日本のどの水族館に行く予定だったのか裏を取ってみよう。
ふむふむ、いくつかの英文ソースが全て同じ答えなので間違いないな。
どうやら、
鴨川シーワールドだったようです。
そして、ケイコの代わりに鴨シーへ売られたのがキングとカレン。
この2頭はケイコたちと同じく1979年11月にアイスランドで捕獲されたシャチ。
彼らはみんな1980年にアイスランドの水族館から転売されていってる。
その79年組を簡単にまとめるとこんな感じ。
キング(♂): → 日本(鴨川シーワールドで1983年に死亡)
カレン(♀): → 日本(鴨川シーワールで1987年に死亡)
名無し(♀): → 日本の鴨川シーワールへ輸送中に死亡
ケイコ(♂): → カナダ → メキシコ → 故郷へ解放(2003年死亡)
キスカ(♀): → カナダ(現在もマリンランドで生存中!推定38歳!)
キスカはまだ生きてたよ!(゚∀゚*)今ではオンタリオ州にあるマリンランドで唯一生存してるシャチだとか。
そのマリンランドにはキスカの後にも何頭ものシャチがやってきたし、
キスカ自身が産んだシャチもいたのに・・・
そのキスカを巡っていま論争も起こってるけど泣きながら割愛。orz
日本の鴨シーへ売却された3頭は比較すると不幸になったように映るね。
ただ鴨シーの名誉の為に付け加えておくと、87年5月に死亡したカレンは、それでも当時の国内外の最長飼育年数記録を更新してたんだそうな。[
source]
それだけシャチの飼育は難しいってことなのかも。
最近になっても
名古屋港水族館の飼育実績は評判が悪いようだし。ケイコの名付けの謎へ話を戻そう。
「日本へ輸出するつもりだったからケイコと名付けた」日本語のネット記事にもこう書いてるものがありました。
なんだかイキナリそれっぽい仮説が浮上しちゃって謎解きもへったくれも無くなっちゃいましたね。でもまだまだこれでは終わらんのです。
だって、この説は完全に間違ってますから。
そもそもケイコは、
最初はケイコという名前ではなかったんです。O_o
彼は二度改名されて最後にケイコへ落ち着いてます。
何故かケイコ・プロジェクトの
公式ページではそのことに全く触れてません。
黒歴史的な感じで無かったことにしたいんだろうか・・・
ともかく、ケイコの名前の変遷を調べてみました。
アイスランドの漁船に捕獲された際に "Siggi Bent Fin"(背びれ曲がりのシッギ)と名付けられ、直ぐにアイスランドの水族館へ売られるとそこで Kago(アイスランド語で Little Boy )と改名された。その後、売却先のカナダでも Kago と呼ばれていたが、さらにメキシコへ転売されるとそこで Keiko とまた改名される。これはメキシコ(スペイン語)で Kago が、 Shit(糞)のスラングになるからだ。[source]
全国の加護さんのスペイン語圏での受難は置くとして、他のソースでは Kago と改名されたのはカナダになってたり。(Little Boyはガセビア?)
ま、ともかくケイコの名前はこんな風に変わっていったんだね。
Siggi(アイスランド) → Kago(カナダ) → Keiko(メキシコ)ケイコと名付けられたのは
メキシコ時代だった。
故に日本へ輸出するからという説はありえない。
Q.E.D.
というわけで、振り出しに戻りました。(;^_^A アセフキ
ついでにこれまでの固定観念も捨ててみよう。
つまり、この Keiko って本当に日本名のつもりだったのかって話です。
Naomi のような日本ぽいけど海外でも普通の名前がありますよね。
それと同じで、メキシコかどこかの国では人や動物に Keiko と名付けるのが普通だったりすんじゃないかと。そんなことを考えながら検索してると、驚天動地のネタが目に飛び込んできたんだ・・・
米映画「フリー・ウィリー」に出演し一躍有名になったシャチのオス「ケイコ」を見物客から守るため、ノルウェー当局は人が近づくのを禁止する行政命令を出した。
ケイコはアイスランド語で「幸せ者」という意味。
現在25歳ぐらい。長い間水族館で暮らしてきた。このほど野生に戻す訓練の一環としてアイスランドのいけすから放たれノルウェーのフィヨルドまで泳いできた。そのフィヨルドに大勢の見物客が押し寄せ、エサをやったり、一緒に泳いだり、背中に上る人まで出てきた。ノルウェー当局は、このままでは野生に戻す訓練や睡眠が妨げられるとして、ケイコの50メートル以内に近づかないよう求める行政命令を出した。訓練士は「人がかまわなくなることでエサを自分で探し群れを捜しに行ってくれれば」と願っている。 (2002・9・8朝日新聞より)[source]
工エエェェ(´д`)ェェエエ工今さらこれは無いわー。
ここまでずいぶん引っ張って来ちゃったのになぁ。
いやほんとマジっすか朝日新聞さん・・・・・・ん? 朝日新聞・・・・・・
だがちょっと待ってほしい。
この話はちとオカシクないですか?
上述したように、ケイコと名付けられたのはアイスランドではなくメキシコ。
わざわざこんな気の利いたアイスランド語の名付けをするだろうか?
どうにも腑に落ちないので裏を取ってみるよ。
あ、ケイコの英語wikiにはこう書いてあるね・・・
Keiko は日本の女性名で "Lucky One"(幸運な人・
幸せ者) という意味。
あれれ? O_O
もしてかして朝日新聞さん勘違いしてません?
日本語で "Lucky One" という意味、という英文ソースを、アイスランド語で "Lucky One" という意味、と空目しちゃったんじゃないかな。当時、多くの英文メディア記事で名前の説明が記載されてるみたいだし。
いやもうそうとしか考えられない。
ケイコのアイスランド語wikiに何の説明も無かった。
ケイコの改名にも言及してるアイスランドの
web記事でも全く触れられてなかった。
アイスランド語/日本語のweb翻訳に至っては
ご覧のありさまだよ。(笑)
というわけで、引用した朝日新聞の記事はガセビアと断定させて頂きます。
さて、またも振り出しに戻りました。(;^_^A アセアセフキフキ
いやもうホントどうしてくれよう。
この後もね・・・必死になって謎を追ったんですよ・・・。
結果から先に言うと、謎は解けませんでした。orz
メキシコの誰がどういう理由で名付けたのか情報が全く見つからない。
こんな奇妙なことがあるもんなんだね。
だって、あれほど世界的に有名になって物議も醸したシャチが無関係の日本のしかも女性名を付けられてるのに、どうして世界中のメディアは誰も尋ねなかったんだろう?
「なぜケイコなんですか?」って。
特に日本のメディアは何をやってたんだと小一時間・・・
とにかく捜査は不首尾に終わったので後はもう状況から推理するしかない。
まず、改名前の Kago の発音はカーゴよりも
ケイゴ に近いと思うんだ。
そして、ケイコのいたメキシコの遊園地の関係者、若しくはその知人・縁者に恵子(恵まれた子でLucky Oneはここから)という名前の日本人女性がいたんじゃなかろうか。
「ケイゴ(Kago)はシットな感じで不味いから改名しちゃうよ。でも全然違う名前だとシャチが混乱するかもなぁ・・・そういばケイコって名前の人がいたよね。それでイイじゃん。あの人に名前の意味と綴りを聞いといてよ。じゃあアトヨロ~」
恐らく遊園地でこんなラテン系のノリな会話があったんじゃないかと。^^
オスのシャチに女性名を付けることに抵抗は無かったのかという件には、
一応それっぽい理屈をつけることはできます。
ラテン系(ラテン語を起源とする言語を母語とする人々や文化)であるスペイン語圏のメキシコにおいて、
語尾が o で終わるのは男性名になる。
例えば、Francisco(フランシスコ)、Antonio(アントニオ)、Carmelo(カリメロ)。
なので、オスのシャチが Keiko(ケイコ)でもOKだろうと遊園地の関係者は判断したんじゃないかな。ケイコを見に来る子供たちが困惑することはないだろうと。
かくしてケイコはケイコになった。
管理人が知る情報で推測するとこうなります。
今はこれが精一杯。
できることなら真相を知りたいけど、このままでもいいかな。
謎は謎のまま終わった方が良いこともある。
何か引っかかりが残った方が人の記憶にも残るってもんです。
きっと管理人も「なんでケイコだったんやろなぁ」と末永く思い出すだろうから。
さて、ケイコの生涯も謎も書き終えたのでそろそろ締めようと思います。
が、その前にあと一つだけっ。
シャチを英語で何と言うか知ってますか?ええ、Orca(オルカ)は確かに正解です。
ただこれは学名(Orcinus orca)であり、ここ数十年で徐々に一般でも浸透してきた名称なんです。昔ながらのより一般的なシャチの英語はこうなります。
Killer whale(殺し屋クジラ)殺し屋女王なんて超ヒット曲もありましたが、とにかく物騒な名前だ。
そういえば、日本でもシャチは漢字で鯱と書きますね。魚の虎ですよ。
(ただシャチと
鯱は別物なこともあるようですが)
キラーホエールという呼び名からビンビン伝わってくるように、
シャチは海の生物たちにとって獰猛で恐ろしいアペックス・プレデター、
つまり
海の食物連鎖の頂点に立つ存在なんだ。O_O
映画ジョーズで有名なホホジロザメですらシャチには餌の一つに過ぎない。
サメどころかホッキョクグマやクジラまでもがシャチの捕食対象なのです。
人懐っこいケイコからは本当にまったく想像もつきませんが、
最強にして最凶、天敵知らず、敗北を知りたい、私を怒らせない方がいい・・・
それこそが野生のシャチの本来の姿なんです。
しかし、野生のシャチが人間を襲ったという報告例は僅か1件だけです。
その事例もサーファーが恐らくアザラシか何かに勘違いされて噛み付かれただけで直ぐに口から放しているので人間が野生のシャチに捕食されたことは一度も無いことになる。
なぜシャチが人間を捕食しないのかはよく分からない。
食物連鎖の頂点に立つ彼らにはその必要がないからと考える人もいる。
何しろ周りはみんな餌なのだ。
ほとんど見かけないし、旨そうに見えないし、なにかと面倒そうな人間をわざわざ襲って食べることはない。
そんな王者の余裕を感じる。
(実際にはシャチにもタイプが4種あって主食が違うが長くなるので割愛)
このKiller whale で最も注目すべき点は、whale(クジラ) だということ。
そう、シャチとクジラは分類学的に同族なんだね。
日本でクジラというと想像するのは大きなヒゲクジラたちじゃないかな。
でも、シャチやイルカも歯(ハ)クジラに分類されてるのです。
英語では、大型・中型ハクジラも Whale(クジラ)と呼んでいる。
となると、大型・中型と小型の境界線はどこかって話になりますよね。
それが 体長4メートル の壁だとか。4mを超えるものはホエールと呼ばれ、そうでないものはドルフィンなどに。
(例外はあるだろうけど基本的にこういう切り分けらしい)
つまり、彼らにとってケイコ(シャチ)はクジラなのです。←ここ大事。
そうクジラ。
欧米がこぞって捕獲を反対し、国際捕鯨委員会(IWC)なんてものまで設立されるほど盲愛されている海獣です。
お蔭で捕鯨国の日本は・・・orz仮にケイコがイルカだったら解放運動がここまで盛り上がったか少々疑問。
ケイコがアイスランドを旅立ち、6週間後にノルウェーで人前に出現した時、
ケイコ・プロジェクトの面々は別の意味でも肝を冷やしてました。
何故なら、
ノルウェーは世界唯一の商業捕鯨国だったからです。
(当時のこと。現在はアイスランドも)
実際、ノルウェーの政治家にして捕鯨支援者であるステイナー・バステセン氏は、1998年9月にケイコがアメリカのリハビリ施設からアイスランドへ送られた数日後にこう発言してる。
「常軌を逸した無駄遣いだね。ケイコの死体を6万個のミートボールにしてスーダンの飢えた子供たちへ食料援助するべきなんだ」
そういう事情だったので、ケイコの関係者らはビックリ仰天。
よりにもよって何故ノルウェーに! ケイコが殺される! と心配をしたわけです。
しかし、ケイコが地元住人に殺されることはなく逆に可愛がられていたのは前述のとおり。ただ、そのハルサ村へ取材に行った海外メディアが、村のフェリーポート直ぐ隣にある店でミンククジラの肉が1ポンド5ドルで売られていたことに戦慄を覚えたという。(^_^;
Killer whale は Whale killer の誤訳だったという有力説がある。
殺し屋クジラではなく、文字通り、
クジラ殺しだったと。
18世紀のスペイン、バスクの捕鯨船が仲間を捕食しているシャチの群れを目撃したことで、彼らに "asesina ballenas" (Whale killer)という名前を与えた。
それを英語圏の者が Killer whale と誤訳して定着してしまったとか。
この説はかなりありそうなことに思える。
日本語にも似たような例は結構ありそうだし。
皆さんご想像の通り、キラーホエールという呼び名はイメージが悪いので動物愛護団体や水族館、動物好きの一般人などがオルカの名称を使っているようです。
ま、その気持ちは分かりますけど、学名の
Orcinus orca (オルキヌス・オルカ) も実は負けず劣らずイメージ最悪の呼び名だったりするのです。
この言葉はラテン語で、意味は「冥界よりの魔物」だとか。オルキヌスが冥府の~、または
オルクスの僕(しもべ)の~となります。
ちなみにオルクスはローマ神話に登場する冥府の神だったり。

(某ゲームでのイメージ)
オルクスさん怖っ。
こんな冥界神の使い魔とかオルカもたいがいだと思うけどなぁ。(笑)
あ、Killer whale (キラーホエール)で引っ張り過ぎですね。
軌道修正するとして、とにかくシャチはホエール、
クジラ扱いなんだということを念頭に置いといてください。
では、今度こそ本当に記事を締めようかと思います。
ケイコが亡くなってから、もう10年以上が経ちました。
あれほど大騒ぎしたアメリカでもケイコを知らない人たちが増えてます。
この記事にしたってなぜ今ごろ取り上げるのかと疑問に思う人もいるでしょう。
しかし、実はここ1~2年でケイコのことがまた少し注目されるようになってきたんです。
その切っ掛けになったものが、奇しくもまた映画でした。
そのタイトルは『ブラックフィッシュ(Blackfish)』。2013年にアメリカで公開されたこの映画は、水族館のシャチが観客の目の前で女性トレーナーを殺した衝撃の事件を題材にしたドキュメンタリー作品です。
管理人はこの映画を観てはいませんが、ネットでの感想をいくつか読んでみると、幼児のシャチが家族から無理やり引き離され捕獲されること、水族館の環境が劣悪なこと、シャチは家族で群れるので他のシャチと一緒の水槽に入れてもイジメが起こること、それらによりストレスが溜まったシャチが野生では考えられない行動に出ることなどが衝撃の事実として描かれてるそうです。
だけど、これにはちょっと溜息が出てしまいました。
そんなのケイコの時に全て分かってたことでしょ?ケイコも2歳で家族と引き離されたし、どこの水族館でもイジメられてたし、狭い水槽で背びれが曲がってしまったし、ストレス性の病気を患ってた。
シャチの声には声紋があり家族ごとで異なることも分かってた。
だから、アイスランド近海には声紋の違う6家族が棲息しているのでケイコがどの家族に属するかの研究調査だってやってたんでしょ。
ぶっちゃけ、まずアイスランドでその家族を見つけないとケイコが仲間と一緒に野生で暮らすのは恐らく不可能に近いことも分かってたろうに。-_-
アメリカ国民はメキシコにいたケイコは解放したけど、
自国の水族館にいるシャチには関心が薄かったんだね。
ケイコのことが教訓にならなかったのは本当に残念ですよ。
ただこれ、日本も他人事じゃありません。
今現在(2014年2月)、
世界中で飼育されているシャチは54頭。
それらのシャチを飼育してるのは世界で8ヵ国のみ。
アメリカ24頭、日本8頭、フランス6頭、スペイン6頭、ロシア6頭、中国2頭、カナダ1頭、アルゼンチン1頭という内訳になります。
そう、日本はアメリカに次ぐシャチ大国なんだ。映画『ブラックフィッシュ』の影響などでアメリカがいきなり方向転換をする可能性もなくはありません。手のひら返しで捕鯨国から反捕鯨国になったように。
もう用済みだったら、その方が利益になるなら、彼らはそうする。
アメリカが自国の水族館からシャチを解放すると決めた時、
その余波は確実に日本を襲ってきます。
なにしろ日本が世界最大のシャチ飼育・商業利用国になるのだから。
またもや世界中から批難を浴びることになるでしょうね。
言いたくないですが、人種や日本は叩きやすいという面もあります。
そしてその日本バッシングの急先鋒はたぶんアメリカです。
つい先日までシャチ飼育世界一だったのにオカシイ?
それはむしろ逆です。
自分たちが悔い改めたからこそ、率先してまだ悔い改めない日本を叩くのです。
俺たちはもう改心したぞと世界中にアピールするために・・・
それが彼らのジャスティス。
だから、そうなってしまった時のために準備はしておいてください。
シャチを飼育してる
鴨川シーワールドと名古屋港水族館は。
下手をしたら映画『ザ・コーヴ』の太地町みたいな目に遭うかもしれないのです。
(あの映画は撮影中、隠し撮りや騙し・やらせ行為が当たり前だったとか・・・)
「そうなったらシャチは解放するよ」 というのなら何も言うことはないですが、
できればそうして欲しくはない。
彼らの正義を押し付けられるのはもうウンザリなんだ。
「もちろんシャチは手放さない。俺たちのシャチと歩んだ歴史には自信も信念も誇りもある!」 ということでしたら、それを効果的に訴えられるマニュアルと英語が話せるスポークスマンを用意することをご提案させて頂きます。差し出がましいことですが。
シャチとは無関係の皆さんも、日本人というだけでシャチの飼育・商業利用について考えさせられることがあるかもしれません。
そんな時は、ブラックフィッシュのちょうど20年前にフリーウィリーが公開され、運命をさらに翻弄されたシャチがいたことを思い出して参考にして下さい。
この記事はその為に書いたので何かの一助となれば管理人も本望です。
まぁでも そんなこととは無関係に
本性は大海無双の殺し屋クジラだけど
人間と遊ぶのが大好きだった
ケイコという名のシャチがいたことを
たまには思い出してあげて下さい
R.I.P. KEIKO今度こそ本当に終わりです。
最後の最後まで読了ありがとう! <(_ _)>
みんな!オラに力をわけてくれ!!
人気ブログランキング※ 誤字修正しました。ご指摘感謝。(2014/3/2)
ケイコの雄姿が拝めるという意味で貴重な映画に。しかし
991円て・・・なんで向こうの映画DVDは安いんだろ?
逆にNHKのクジラ対シャチは良作だけど高い。受信料取ってるんだか(ry
シャチバックパックは背負う勇気と若さが管理人にはないですw
◆
フリー・ウィリー 10周年記念版 [DVD]◆
ケイコという名のオルカ 水族館から故郷の海へ◆
NHKスペシャル 大海原の決闘! クジラ対シャチ [Blu-ray]◆
オルカバックパック L