元ネタ npr バーボン・ウイスキーの 「 バーボン 」 て何? こう聞かれて答えられる日本人は何パーセントぐらいでしょうか。
飲酒は付き合い程度の管理人は、もちろん知らなかったYO!(エヘンプイ
ちなみに、綴りは 「
bourbon whiskey 」 となります。
これでピンと来た人がいるかもしれませんね。
そう、バーボンとはブルボン。あのフランス王朝のブルボン家ですな。
てことは、バーボンて実はフレンチ・ウイスキー・・・・・・じゃありません。(^_^;
アメリカン・ウイスキーの代表格だったりします。
バーボンウイスキー メーカーズマーク なんでアメリカ産なのに名前がフランスのブルボン由来なのか?
ざっくり説明しますと、時はアメリカ独立戦争(1775 - 1783)の時代のこと。
大国イギリスに負けそうなアメリカは、フランスに泣きを入れます。
1776年12月、そのイヤンな役目の使者としてフランスの地に立ったのが、
かのベンジャミン・フランクリンでした。 あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
おれは 「 時は金なり 」 と言ったと思ったら
いつのまにか 俺が 金になっていた
な… 何を言っているのか わからねーと思うが
おれも 何をされたのか わからなかった…
頭がどうにかなりそうだった… 避雷針だとかフリーメイソンだとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしい 人骨が床下から 出てきたぜ…
この人、政治も外交も著述も学問も事業もできる上に、話術も巧みでコミュ力抜群
というマルチタレントのスーパーマンなんですよ。
そんな彼だから、フランスに行ってもサロンでモテモテの人気者に。
ユーモアも絡める洗練された弁舌にコロっといった貴族などが、義勇軍として
アメリカに渡る。その中にはラファイエット(帰国後革命に加担)もいたり。
ルイ16世も思わず10億リーブル出しちゃった。 (現在の6兆円とも20兆円とも!?)
これで財政破綻に止めを刺した感のフランスは革命ギロチン待ったなし・・・
そもそも絶対王政の王様のルイ16世が、同じ王政のイギリスから独立し共和制国家に
なろうとするアメリカを支援することに矛盾がありますよね。
実際、革命後の共和制フランスは、周囲の王族の皆さんがこぞって敵に。(ノ∀`)
自分の国まで革命が起きたらたまらん、身の程知れ平民 とフランスに戦争をしかける。
四面楚歌で絶体絶命の共和制フランス!
国内すらボロボロなのにこりゃもうアデュー!
そんな滅亡必至のフランスを救ったのが・・・
ナポレオン・ボナパルト ホントあの状態からよくも欧州制覇寸前まで行ったよなと。
その辺りはまた別の機会に譲らせていただきます。
ナポレオン ―獅子の時代― (1) (これ面白いんだけどなぁ。アニメ化してくれたら絶対取り上げるのに)
話をベンジャミンさん(70歳!)フランスで大暴れまで戻します。
ともかく、巨額のマネーと援軍を送ってくれたフランス様様。超メルシー。
お陰で独立戦争に勝利したアメリカは、その2年後の1785年に後の第3代大統領となる
トーマス・ジェファーソンがケンタッキー州の郡のひとつを
バーボン郡と命名 し、
フランスへの感謝を形にしたというわけです。ま、名前はタダですし。(´Д`;)
そして、その地域で製造されるウイスキーがバーボンと呼ばれるようになり、
すっかり定着して現在に至ってます。
だから、ケンタッキー産じゃないとバーボンとは言えなかったんですね。当時は。
今は、バーボンの名前が再定義されてその限りではないそうな。
ちなみに、バーボンの有名どころはビーム社のジム・ビーム、メーカーズ・マーク
あたりですが、そのビーム社を日本の
サントリーが買収(2014年) してたり・・・
これ、向こうではどの程度の反響があったんやろか。
何か面白い反応を見つけることが出来たら記事にしてみようかなと。
まぁ何はともあれ、バーボンはアメリカのみならず世界中で愛されるようになり
ケンタッキーの顔の一つになりました。
きっとルイ16世も浮かばれたことでしょう。O_o
そんなフライドチキンだけじゃないケンタッキー州ですが、
あれ~アメリカのどの辺にあったっけ~? という管理人の同士のために。
(
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日本では知名度の高い西海岸でも東海岸でもなく中部の微妙な位置っすなぁ。(マテ
そんな海も五大湖もない鶏肉とお酒の土地へ舞い降りたのが世界のTOYOTA。
1985年にケンタッキーに製造工場建設を発表、86年に起工式、88年に完成、
同年5月に最初のカムリが工場からラインオフという流れでした。
(なにげに稼働30周年じゃないかい?)
こうして、ケンタッキーは
トヨタ初の米国工場ができた聖地 という栄誉をゲット。
バーボン、チキンに次いでTOYOTAという勲章を手にしたのです。
そして、そのトヨタさんが車と雇用と税金だけでなく、日本食文化までケンタに
貢献してますよという記事が米国NPRのウェブサイトに載ってました。
サンダース大佐しか知らなかった管理人に、ケンタッキー州のことをちょっと
調べてみようかという気にさせてくれたので取り上げてみましたよ。
あ、その前に予備知識として位置関係を紹介しときます。
赤丸で囲った小さくて読めない文字がジョージタウン。
今回紹介したトヨタの工場がある市ですね。
見た目的には
完全に町か村 だけど・・・
その南の幹線道路が交差してるのがレキシントン。ケンタッキー第二の都市です。
ちなみにケンタ第一の都市はその西に位置するルイビル。
ジョージタウンを北に行けば州境にお隣オハイオ州の大都市シンシナティが。
メジャー移籍した大谷ですが、生活環境的にはレッズも悪くなかったかっぽい。
ではでは、外国人が先入観と憶測と伝聞だけで書く日本下げ記事が多い中、
ちゃんと取材したうえで好意的に書いてある記事は残念ながら本当にレアなので
是非、読んでみてください。=)
How Toyota Helped Create A Thriving Japanese Food Culture In Kentucky ケンタッキー州の日本食文化の繁栄をいかにトヨタが後押ししたか January 26, 201812:27 PM ET
Ashlie Stevens
アヤメ・ジャパニーズ・マーケットの経営者エグチ・アケミが輸入DVDや炊飯器の後ろにある冷蔵棚の商品をチェックしている。そこには漬物、大根、小豆、メロンパン(「アメリカのアニメファンの間で有名」と彼女が書いたポップがある)が陳列してあった。
店内には、餃子の皮や新鮮な魚と肉が置いてある冷蔵ショーケースが他にも数棚あり、短い4本の通路には色鮮やかな菓子類、ヘア製品、カレー、インスタントの味噌汁・お茶など所狭しと陳列されている。
だが、この商店は東京の路地にあるのではない。
レキシントン南東部のストリップモールの中に佇んでいるのだ。
「本当に小さな店だけど、ありとあらゆる物が少しずつあって
その全てが良く整理されてる、お客さんはそう言ってくれます」
「日本にある食料品店の小型版みたいだと言ってくれるんです。
それは私にとって凄い褒め言葉なんですよ」
米袋のピラミッドのそばを横切りながらエグチさんは語る。
ケンタッキー州の中心に位置するカレッジタウンの小さな日本食品雑貨店。
彼女が4年前にアヤメを開店して以来、顧客基盤は大きくなるばかりだという。
それら全ての始まりは、30年程前にジョージタウンに建設されたトヨタの製造工場。
トヨタが日本の食品と商品の需要をこの地にもたらしたのだ。
「28年前に私がレキシントンに引っ越してきた時は、日本の商品がほとんどなくて
日本食がとっても恋しくなった。でも、今はもうそんなことないわ」
レジを打ちながらエグチさんはそう昔を振り返る。
1985年、日本企業であるトヨタ自動車の代表取締役社長だった豊田章一郎は、
ケンタッキー州ジョージタウンがトヨタ初の米国製造工場建設地になると宣言した。
「トヨタがここに来た時、ジョージタウンだけではなく、日本企業がアメリカで
成功できるのかどうかを経済界全体が注目していたんだ」
ケンタッキー日米協会の事務局長デイビッド・カーペンター氏はそう語る。
そして現在、米国は10都市にトヨタの製造工場を持つまでに至った。
テキサス州サンアントニオ、アラバマ州ハンツビル、ミズーリ州ブルースプリング
などがその一例だ。
ケンタッキーでのトヨタの成功は、その地域に他の日本企業を急速に引き寄せた。
「トヨタが来た時、我々は日本企業を4つか5つ抱えていましましたが、今現在は
206社の日本企業をケンタッキー州に迎えていますので、日本人コミュニティの
人口は程度の差こそあれどこも爆発的に増加しています」とカーペンター氏。
「でも、日本人が最初にここへ来た頃は日本食にありつくことが非常に困難だった」
日本人移住者が母国の食事を求めたのと同じく、アメリカ人労働者も日本食を試して
みたいと熱望した。彼れらの多くが日本での訓練を終えて帰国した者達なので尚更に。
「日本に行って真の日本食を味わってきたケンタッキー民は、誰もが、その経験を
家族や友人たちと共有したいと思ったんですよ」 カーペンター氏はそう語る。
彼らの文化交流が全てのスーパーで寿司が買えるようになるずっと以前に始まったことを
忘れないでもらいたい。本物の日本食レストランなど滅多になかった頃なのだ。
タチバナ(このエリアで初の本物の日本食レストラン)はレキシントンで25年開業中。
その姿は柱と梁の木材建築で伝統的な日本の家のようだ。
「ここの日本人たちに寛いでもらうことを考えた設計だったのだと私は思います。
そして今では日本人だけでなくここの全ての人たちから愛されています。それは
日本の品を扱う商店も同様です。タチバナはその最初の一つですね」
それ以来、日本食レストランと日本商品小売店はずっと増え続けいる。
「我々は80年代初めの日本食レストランブームを未だに見続けいてるのです」
そうカーペンター氏は感慨深げに言った。
最近、レキシントンの繁華街で銀行を造り替えた寿司レストランがオープンした。
その名も「 School(学校)」。
「 school of fish(魚の群れ)だけにね 」(どやー
寿司カウンターの脇を歩きながら経営者のトモカ・ローガンが由来を説明してくれた。
レキシントンでの生活は18年になる。東京生まれだが、夫が件のトヨタ工場での仕事の
オファーを受けたので夫婦で移住してきたのだ。
彼女はタチバナでの最初の食事を今でも鮮明に覚えているという。
この都市で初めて仕事の面接を受けた場所がタチバナだった。
「アメリカに引っ越して以来、初めての寿司でしたよ」
「その寿司がどれだけ素晴らしかったは憶えているんだけど、面接がどんなだったかは
まったく思い出せないのよね~」そう言って笑うローガンさん。
移住して数年後に School をオープンし、そこで8年ほど営業していたが、
近頃、より繁華街の中心地に店を移し、二人の日本人シェフを連れてきた。
「この街には大きな日本人コミュティがあるから、私はただ皆で本当の日本を共有
したいと思っただけなのよ」店内角にある2つのテーブルを示しながら彼女は言う。
そこには日本人たちが座っていて、片方では談笑する家族が、もう片方には英語で
ドリンクを注文するカップルがいた。
現在ではセントラルケンタッキーに多くの日本のレストラン・商店が存在するが、
ケンタッキー日米協会とトヨタは、日本からの移住者と来訪者に故郷を想い起させる
食事を結びつける協調努力を今も続けている。
(後略)
☆ この記事に寄せられたコメントを一部抜粋 ☆
Jill Johnson Bertelson 男性 レキシントンの高校生が幼稚園の頃から日本語を習い続ける理由がこれさ。
ここには日本の小売店・レストランがあるし、毎年恒例の日本夏祭りもある。
Chassen Bell オハイオ州 女性 生まれて初めて高校生に嫉妬したわぁ。
私たちにあったのはフランス語とスペイン語の授業だけ。
どっちも習いたいと思ったことがない・・・
Bob Lyons オハイオ州シンシナティ 男性 北ケンタッキーの学校でもフランス語やスペイン語よりも日本語を教えてたね。
Michael Veirs ケンタッキー州ルイビル 男性 TMMK(トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・ケンタッキー株式会社)に
25年勤めあげた退職者だ。俺は第二期の雇用組になる。
当時は全員が就職して2週間の内に続々と日本へ送り込まれたんだ。1ヶ月もの間ね。
ちなみに、昨夜は定番のカレーライスを作った。
なぜなら女房も俺もアレが大好きでたまらないからだ。
日本の工場の食堂でメニューに餃子があった時は必ず喰ったな。
アレはただの一度も外れ無しだった。
ぶっちゃけ、こっちで俺が喰う日本食は外れてばかりだよ。あの納豆はどうよ?
ただ、こっちで出会う日本人の大半は最もナイスな奴ばかりさ。
Shaun Strawser 男性 俺にとって餃子はピザみたいなもの。
出来の悪い餃子でさえ、かなり旨いという優れモノ。
Bob Lyons オハイオ州シンシナティ 男性 逸品の鮨が食べたければ、北ケンタッキーかシンシナティへ行くべし。
俺らは世界でも最高レベルの鮨を持ってる。
それをアメリカにもたらしてくれたトヨタに感謝。
Steve Whorf シンガポール 男性 トヨタ社内の日本食レストランで数えきれないぐらい食事してるわー。
一人前の量が異常に多いね。
刺身にマヨネーズを付け合わせる唯一の日本食レストランかもしれん。
ただ、それがメッチャ旨いんだけどなー。
Lauren Diehl Burton 女性 日本から来たマヨラーの交換留学娘からそれを教わったわ。
彼女は何にでもマヨをかけてた。
寿司もその一つにすぎないという・・・
Steve Whorf シンガポール 男性 ↑ 日本人あるある。それがキューピー・マヨというのがお約束。
すごく甘くて粘り気がちょっと少ない。
だが、刺身にマヨというのはお目にかかったことがないな。
他の食い物では死ぬほど見かけたけど、生魚にマヨは見たことない。
Michael Veirs ケンタッキー州ルイビル 男性 1ヵ月の日本研修を終え帰国した1987年のこと、日本人重役がプラスティック
部門全員をランチで日本食レストランに連れて行ってくれた。
アメリカ人6名と日本人4名の皆をだよ。
当時の工場はまだ設備が空っぽの建物群だったんだな。
その重役が全員の食事を注文し、俺には生のタコが配膳されてきた。
口の中で吸盤と歯で格闘し無理やり飲み込んだよ。
あの頃は単純にも「こんな食事が毎日続くのか・・・」と嘆いたもんさ。
Sara Kim ニューヨーク 女性 私は豊田通商ともう15年ほど仕事で付き合ってて何度も本社を訪れてるわ。
あぁ・・・あそこの寿司とフレンドリーな社員たちが恋しくなってきたぁ。
Jim Foreman オハイオ州シンシナティ 男性 北ケンタッキーには良い日本のレストラン・商店がたくさんあるでー。
シンシナティ空港の周りもそうやな。
数年前でトヨタの北米製造統括会社があったんや。
ワイの中ではミヨシが超おすすめやで。
<注:2014年まで北ケンタの
アーランガー にあった3200人規模の会社。
現在はテキサス州のダラスに北米の本社機能が集約されている>
Brandon Short 男性 ミヨシはぶっちぎりで一番だよな。
あの雰囲気といい料理といい超一流だ。
Jim Foreman オハイオ州シンシナティ 男性 シンシナティに住んでた頃、出張で空港を使う時は必ずトヨタビルの中にある
寿司レストランへ行ってたことを思い出したわ。あの味はアメージングだった!
Christina L. Urban イリノイ州 女性 日本にはキットカットの味が1000億種もあるのよ!
ちょっとケンタッキーまでドライブして買ってくるわ~。ノシ
Gina Eskridge Wilder 女性 そのついでで私にイチゴ味を買ってきてちゃぶだい。(゚∀゚)
Carmen Middleton ミネソタ州 女性 缶チューハイを売ってる店が一軒でもあるのなら、
私は夏にケンタッキーへ行かざるを得ない!!
Foster Thomas コロラド州デンバー 男性 アニメ好きの Danny Simon、メロンパンがおまいらの中で人気だとさ。
Danny Simon コロラド州デンバー 男性 呼んだ? メロンパンは喰ったことないな。でも間違いなく好きになりそう
Tawney Marie Frohlich ケンタッキー州ジョージタウン 女性 正にこのトヨタ工場のあるジョージタウンに住んでるのに全く知らんかった。(つД`)
これはもうお宝を求めて探索しに行くしかないわね。
清水 大輔 男性 オハイオ州にも日本人コミュニティがたくさんあるぞ。
メアリーズビルはホンダの生産拠点だからな。 (中央赤線がメアリーズビル、下部赤線がシンシナティでそのすぐ下には
ケンタッキー州の北ケンタとなります)
ありゃりゃりゃりゃ?!
ちょっとこれ、勘違いしちゃってたよ管理人は。
元ネタの NPR の記事を読んで、単独で米国工場を作ったのはトヨタが日本初かと
思いきや、
ホンダのメアリーズビル工場が1982年で日本初 だったんだね。(^_^;
ちなみに、その後の日本車メーカーの米国生産進出は以下のような感じ。
83年に日産がテネシー州で生産を開始。84年にはトヨタとGMの合弁会社NUMMIを設立しカリフォルニア州に工場を建設した。 1980年代後半になると、87年にマツダが進出。88年にはトヨタ単独でケンタッキー州に工場を建設。同じ年にクライスラーと合弁で三菱自動車が進出、89年に富士重工といすゞが合弁で工場を建設するなど、ホンダが先鞭を付けた米現地生産が拡大していく。 (一部を抜粋。全文はリンク先 でどうぞ)
本田や日産、NUMMI(ぬーみ)のことも書きたいけど割愛。またいつか。
今回は、なぜこの時期に日本車メーカーが続々と米工場を建てたかをチョロっと。
1970年代から日本車がアメリカを席巻。
78年頃には、米ビッグ3(GM・フォード・クライスラー)の売上はもう断末魔。
いわゆるジャパン・バッシングが顕著になってきました。
(U.A.Wは、全米自動車労働組合)
日米貿易摩擦によりアメリカは日本に無茶ブリ&言い掛かりを繰り返す。
ほとほと困った日本の自動車メーカーは仕方な~く
1981年、自動車の輸出自主規制を開始。(´・ω・`) これ、日本からしなくてもいずれアメリカに押し付けられたと思う。
そんなわけで、これはもう現地で作るっきゃないわと。たぶん。
だけど、これでアメリカに海外赴任になった社員さんは大変だったろうなぁ。
ジャパンバッシング吹き荒れる国へ元凶の自動車を作りに行くとか。
1982年には、デトロイトで日本人に間違われた中国人が殺されてるんですよ。
クライスラーの工場をクビ になった三人の白人がビンセント・チンさんを撲殺。
(野球のバットまで使ったらしい・・・)
しかも、その裁判では執行猶予がついて誰も服役してないという恐ろしさ。-_-
ふぅ、軌道修正して話をトヨタに戻しますね。
件の工場が建ったジョージタウンですが、恩恵受けてますね~。
一番分かりやすいのは人口の推移かも。
Georgetown, Kentucky 1990年から2016年にかけて人口が3倍になっとる。 1988年にトヨタ工場が稼働した時、その従業員数は300名程度だった。
そして2016年の統計では9543名、関連の豊田通商が457名だから合算すると
ジャスト1万人!! (*´д`*)ナンカメデタイ
総人口3万3千の市ですからねぇ・・・
これはもうジョージタウンというよりトヨタウンだよ。
いかに大企業の工場誘致がでかいかが分かりますね。
ただこれ、逆に言えば、トヨタが出てったら終わる。(;・`д・́)...ゴクリ
日本企業が続々と撤退してるカリフォルニア州なんて例もあるしね。
トーランス市は、トヨタ、日産、ホンダの北米本社があったけど、
トヨタも日産も逃げ出して今はホンダのみに・・・
かつてはこんなこともあったなと。
●
ロスに新工場を建設する予定だった近畿車輛に起きた災難 これ以外にもかの地にはいろいろ問題があるのだけど割愛。
(異常なトヨタバッシングとか酷かったよなぁ)
まぁ、ケンタッキーは環境や気質がカリフォルニアとは違うんで
トヨタがサヨナラすることはないと思われ。
それを裏付けるケンタッキーの更なる実力を紹介。
何を隠そう治安が良いのです。
全米50州の中で治安ランキング5位! どこ調べか不明 ですが、何となく納得の順位。(えー
だってのんびりしてそうな雰囲気ですもん。
それに、両海岸&メキシコ国境の州と違って不法移民がぐっと少ないから
ヘイトクライムとかあんまないでしょうしね。
では最後に、ケンタッキー最大の実力を紹介しましょう。
それは大自然に育まれたお馬さんたちデス! 香川県がうどん県なように、ケンタッキー州は牧草(ブルーグラス)州と
呼ばれてるそうな。それ故に、多くの牧場があって米国有数の馬の生産地に。
そして馬といえば競馬、クラシック三冠のケンタッキーダービー。
ケンタ最大の都市ルイビルのチャーチルダウンズ競馬場で毎年5月に開催。
「
スポーツの世界で最も偉大な2分間 」
そうたたえられていて、アメリカで5本の指に入るスポーツイベントかと。
単なるレースではなく着飾ってパーティとか2週間かけたお祭りな模様。
開催日は他の多くの競馬場はレースを止めてスクリーンでパブリックビューイング。
スポーツバーでも正装したファン達が酒をかたむけながら観戦。正に全米規模。
競馬場の収容人数は5万人、イベント参加人数は16万人だとか。O_O
日本事情的には、関口房朗さんがフサイチペガサスの馬主として2000年に勝利。
(現地で購入したアメリカ産馬。お値段 5億6千万円!)
武豊さんが1995年と2016年に騎乗してますが、結果はまぁその・・・
という感じで、日本の競走馬が勝ったことはまだないみたいです。
ただ、あまり参戦すらしてないのかも。
アメリカや欧州の競馬界は日本の参戦を熱望してるみたいですけどね。
何故なら、日本人がいっぱい馬券を買ってくれるから。(´Д`;)
以前、凱旋門賞に日本馬が出たとき、日本だけで41億8599万5100円を売上げて
本国フランスでの売上げより多かった んだってさ。
そりゃ日本馬の招致に必死になるって話ですよ。
ケンタッキーダービーにはいくつもの伝統・慣習があるのだけど、その一つが
「 ケンタッキーの我が家(My Old Kentucky Home)」を全員で熱唱。
アメリカ人のみならず、日本人なら誰でも聞いたことのあるアレです。
VIDEO (歌詞とその和訳が
コチラ で紹介されてます)
これ聞いてケンチキが喰いたくなっても自己責任で。
ちなみに、
ケンタッキー州の州歌 だったりしますよ。
作詞・作曲者が誰かご存じですかー?
ほら、アメリカ音楽の父と言われてるあの人・・・
そう、スティーブン・フォスターです。 草競馬、おおスザンナ、故郷の人々(スワニー河)など大ヒット曲多数。
現代日本でも度々耳にする程ですが、彼の人気曲の多くがミンストレル・ショー
のために書かれたことはあまり知られてなかったり。
浜ちゃんが顔を黒ぬりして人種差別と批判されたのは記憶に新しいですが、
あの物議の元凶ともいえるアメリカの黒歴史に参入してた。
でも、だからといってフォスターがこちこちのレイシストだった訳じゃなく、
黒人奴隷たちの苦しみや素の姿を作品にフィーチャーしてたそうな。
日本でのフォスターの知名度ってどうですかね?
名前を言われても、あれ?それ誰だったっけうーん、という反応が多そう。
だがしかし、このスティーブン・フォスターは日本でアニメになってるのです!
もしかしたら、アニメファンでもあまり知らない or 忘れてるかもですね。
そのアニメがこれです。
VIDEO 「 風の中の少女 金髪のジェニー 」 ですよ! いやこのアニメは本当に凄いと思うんだ。
何が凄いって最終回の最後の最後まで主役の男子がスティーブン・フォスターだと
管理人が気付かなった&知らなかったこと。
すまん・・・まだお子ちゃまだったんや・・・(ノ∀`)
冗談はさておき、今、改めて観るとそのテーマ・ドラマがやっぱ面白い!
まず、舞台設定がアメリカの南北戦争時代。
黒人奴隷・差別とか普通に出てくる。
再放送してくれない、アメリカで放送・販売されないのはこれが原因??
(スペイン、ドイツ、イタリア、フランスでは放送されてます)
ストーリーも四部構成になっていて、キャラが子供から青年ぐらいまで成長。
女学院を舞台にしたニューヨーク編とか、スティーブン&ジェニーの間に
お嬢様のジュリアが絡んで三角関係みたいになってたんだ。
(上の動画がその一例デス)
これにはめっちゃドキワクさせられた甘い思い出。(マテ
見た目は世界名作劇場みたいなのに、そこまでやってくれるかとキュンキュンした。
いやほんと、このアニメはもっと評価されていいのにと思う。
ちょっと変じゃないと感じる部分が確かに時々あるんだけど、
そんなの余裕で許せるぐらい楽しんで観てた。
個人的には傑作。
ただ、史実のフォスターは幸薄くジェニーにも離婚され37歳で非業の死を・・・
このアニメ観てた頃、誰か知らなくて逆に良かったんや。(^_^;
(もっと古いアニメ版は今回スルー)
さて、この辺で終わりますけど、話がそれまくってばかりでしたね。(反省
久しぶり過ぎてここのブログ記事の書き方まとめ方を忘れちゃってる。
ま、以前からまとまり無かったろと言われたら返す言葉ナッシング。
ともかく、今回はケンタッキー州の魅力・実力を語ったつもり。
チキンだけでなく、バーボン・トヨタ・日本文化・治安・馬もあるよと。
ついでに、大自然から採れる石炭の輸出先NO.1は日本だったり。
これでケンタッキー州が少しでも身近に感じてくれるようになったら本望です。
今、お隣さんで五輪やってますが、2020年には東京オリンピックが控えてる。
大勢の外国人が押し掛けるでしょうし、皆さんの中にも彼らと交友する機会が
あるかもしれない。そんな時、相手の母国・故郷のことを知ってて話題にできれば
きっと喜んでもらえると思います。
そんな訳で、しばらく海外の歴史や事柄を盛り込んだ記事をメインにやっていきます。
もちろん、別腹でエンゼルス大谷は些細なことでも取り上げる所存。(*´Д`)
ではでは。ノシ
P.S. 案の定というか心配した通り黒い洋菓子獲得数・・・ゼロ・・・(泪
ぎぶみーちょこ or 誕プレ (米とかお茶とか兵站を整えてくれるともっと戦えます!)
数日後がバースデーなんだけど最近は危機感しかない。めでたくない。O_o
来年は違った気持ちで迎えられるように頑張るわー。
あ、冒頭のバーボンのトリビアですけど、
「
バーボン ブルボン ルイ馬鹿ボン 」
と狩野風に一回つぶやけば一生忘れないと思うよ。(えー
売上世界NO.1バーボンウイスキー「ジムビーム」 バーボンて瓶入りのイメージしかなったので思わず。
カリフォルニアのGMとの合弁会社がおじゃんになった直後に
巻き起こったトヨタバッシングの醜悪さは伝説レベル。
助けてくれる筈の民主党政権にも後ろから刺されたトヨタを思うともう・・・
「毒見師イレーナ」が無料(キンドル)で読めます。
NHKのラジオドラマになるほど面白いらしい。