元ネタ
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パリピ孔明(5)
時は現代、場所は渋谷。諸葛孔明は歌手を夢見る月見英子と音楽による天下一を目指す。巨大フェス・サマーソニアへのチケットを見事獲得した二人だが、オリジナル楽曲がまだ1曲しかない!『DREAMER』に続く楽曲を獲得すべく、孔明はJAZZ界で若き才能を発揮する若月三兄妹に目をつけるが、彼らには超絶不仲という問題が! 三兄妹の争いを収め、曲作りに参加してもらうため、なぜか孔明がDJに挑戦――!?
この表紙絵卑怯だわー。(笑)
内容は現代日本に転生した孔明が女性シンガーをプロデュース的なもので、
その設定はかなり面白い。絵柄も綺麗で見やすかった。
過度の期待をしなければ割と楽しめる作品だと思うよ。
キンドル版の1巻が無料になってるので食指が動いた人は試してみて。
そんな感じで今回のお題は三国志。
大谷さんが祈願通りにホームラン打ってくれたのだけど、
ちょっと遅かった。(マテ
いや最初の打席が三塁打じゃなくてエラーにされたのが悪いんや。
その後も大谷さんは凡退を続けチームも大差で負けてたから、
こりゃ記事にならんと諦めてカープの試合に移動してもうた。
そしたらまさか最終回に打席が回って来てイッツゴーンヌとは・・・
ホント野球は最後まで何が起こるか分からんね。(^_^;
という訳で、三国志デス。
劉備には孔明も五虎将軍もいたのになぜ敗れたのかという質問に、
中国人たちが答えていたので面白そうだと取り上げてみました。
では、興味のある方は続きをどうぞ。
The Three Kingdoms Period in Ancient China: Why did Liu Bei lose in the Three Kingdom war given that he assembled the best team (Zhuge Liang and the 5 Tiger Generals)?
古代中国の三国時代: 劉備は最高のチーム(諸葛亮と五虎将軍)を結成したのに、なぜ三国戦争で敗北したのですか?
Pun Anansakunwat他の回答者が言及したように、三国志演技は劉備に偏っているんだ。
彼らが実際の歴史に基づいて答えてくれたので、私は繰り返しはしない。
ここで言いたいのは、君でさえこの質問を小説に基づいてしているということ。
蜀はそれでもまだ魏に対抗するのに十分ではなかったんだ。
第一に、その小説でも諸葛亮が指摘していたように、蜀が魏を征服するには四川と荊州から同時に軍隊を動かさなければならなかった。だが、関羽(五虎将軍の一人)が荊州を呉に奪われた為、それが不可能となった。
第二に、蜀が荊州を失ったとき、魏を叩き潰す唯一のチャンスは、呉に頼って別の戦線を開くことだった。しかし、劉備は夷陵の戦いで呉にほぼ全ての人員を動員し死なせた。幸い諸葛亮は両国の同盟を再構築することに成功したが、蜀呉の同盟は小説の中ですら脆弱なものとなる。呉は魏との戦争で蜀を効果的に助けようとはしなかったんだ。呉の戦略は、山の頂上に座って二頭の虎が互いに戦うのを見ることだった。だから魏はそれぞれを簡単に各個撃破できたんだ。この協調性の欠如が蜀と呉の運命を決定づけた。
第三に、諸葛亮自身は優れた指揮官ではなかった。彼は確かに非常に有能な戦術家であり、行政官であり、国政に優れていたのだが、戦争で軍隊を指揮することは彼の専門ではなかったんだ。漢の建国者である劉邦は、土地の管理者を蕭何とし、軍の総司令官を韓信として、中国の支配を代行させたから成功したんだ。
五虎将軍たちは間違いなく武器の使用に長けていた。だが、以下で挙げるように彼らは多くの弱点を持っていたので、彼らのいずれも大司令官にふさわしくなかった。
関羽: 高慢、短気、気まぐれ、自己中、故に荊州で致命的なミスを犯した
張飛: 短気で部下の兵士を虐待した
趙雲: 多才。しかし、どういう訳か自分で戦略を立てる機会を与えられなかった。性格と能力の見極めに優れた劉備が、なぜ彼を総司令官にしなかったのか私には分からない。恐らく趙雲は言われてるほど優秀な武将ではなかったのかもしれない。
馬超: 残忍で粗野、漢民族以外の血を持っていた可能性が高い。
黄忠: 年を取り過ぎていた。
という訳で、これらの将軍を最も上手く活用する方法は、韓信のような偉大な大司令官の命令と計画に従わせることなのだが、蜀はその人物を得ることはなかった。
(ここで特筆すべき例外的な将軍が魏延。彼は有能な将軍だった。しかし、諸葛亮は、かつての主人を殺して劉備に降伏したことから憎んでいた。魏延は諸葛亮の偉大な後継者になる可能性があったが、諸葛亮は反逆を恐れていたので、自分の死後に彼を殺すよう馬岱に言い残した)
第四に、魏はリソースに恵まれていた。土地は蜀の3倍。その人口は蜀の5倍以上。これは大きな違いを生み出す。魏はより良い新たな才能を見つけることができるが、蜀は諸葛亮の死後、王国を統治するための新たな才能を見つけることができなかった。司馬懿、司馬師、司馬昭らも優れた戦略家、戦術家だった。
John Daniel 実は、魏延て韓玄を殺してないんだよな。あれは小説の作り話だし。
史実では韓玄はアッサリと降伏してる。
魏延の過去の実績は未知のままだ。
四川の鎮撫で一兵卒から出世していったと推測される。
彼は諸葛亮の縁故主義のために見捨てられた可能性が高い。
諸葛亮の後継者は当時の魏延よりも実績に乏しかった。
Puhan Zhou 趙雲て劉備の息子を命懸けの英雄的行為で救ったのに、
実際には特に評価されなかったよね。
劉備は何よりも関と張との兄弟愛を優先してたから、
曹操ほど効果的に才能を引き寄せることはできんかった。
Ching Ho Liこの質問は三国志演義の影響を受けているようだね。
劉備は確かに有能な人材を抱えていたが、曹操も多くの有能な将軍を持っていたことは注目に値するし、彼らはむしろ過小評価されてるようだ。于禁、楽進、李典、徐晃、張遼、許褚、夏侯惇、夏侯淵、張郃などを挙げておくよ。
孫権だって、黄蓋、程普、魯迅、呂蒙、太史慈、周瑜、甘寧、凌統など人材を揃えていたんだ。要するに劉備は三国「最高のチーム」なんて持ってなかった。俺が言及した将軍たちは、五虎将軍に匹敵する以上のものがあるよ。
Giao Vu 周瑜は諸葛亮にほとんど劣ってなかったよ。
赤壁での勝利の立役者が彼だからな。
周瑜は単に早く死に過ぎてしまっただけなんだ。
Richard Wang三国志は、演技じゃくて正史を読んで欲しいですね。印象が変わりますよ。
まず、中国は9つの州に分割され、そのうちの6つは曹操軍によって占領されていました。最も重要なのは曹操が戦場で一番必要な資源である馬を持っていたということです。他の2つ勢力にはこれがありませんでした。
第二に、人口と経済の面で曹操の力は70%以上を占めました。また、当時の中国の主要経済圏は北部にあり、人口・経済面で圧倒的な優位を保っていました。曹操は農耕体制をとっていたため、人民は穀物の50%を曹操の部隊に渡さなくてはいけませんでしたが、少なくとも残りの50%を維持することができ、人民の生活が保障された。一方劉備は、李州の経済を崩壊させ、「百金」政策で領民の富を略奪しました。劉備の勢力圏の人々は曹操のそれよりもずっと貧しかったのです。
第三に、曹操は漢の最後の皇帝を支配し、国家の正義を代表していたため、政治的に非常に強力でした。この点では諸葛亮さえも曹操が政治的優位性を持っていたことを認めています。
Marilene Riddleまず、劉備は祖先が個人の発展に重要な役割を果たしていた時代に生きていたことを認識しておく必要がある。劉氏のライバルである曹氏と孫氏はいずれも名門出身だった。曹操の養祖父は4代の皇帝に仕えた有力な宦官であり、曹操の養父は軍隊の司令官 (太尉) だった。曹操の家族は3人の中で最良だった。
孫氏の場合、父は下級の家の出身だったが、反逆者を討ったことで名声を得た。父が死去すると、孫は南東部の門徒の協力を得て支配を確立した。概して中国の軍閥の好例だろう。
劉備は「皇帝の叔父」という肩書きがあったにも関わらず、3人の中で最底辺。
当時、露店で草履を売って生計を立てていた。
それ故、曹操は家族の評判と彼自身の闘争のために最も多くの支持者を持っていた。孫権は彼の父の行為と彼の多くの門徒による2番目に位置し、劉備は3番目となった。彼が所有していたのは「皇帝の叔父」の称号だけであり、それ以外に彼が人々の信頼を得ることができるものはほとんど無かったんだ。
Tianren Tan劉備は呉によって荊州を失ったことで、
北の魏(9~10州)に対して蜀の地からのみ侵攻せざるを得なくなった。
蜀から漢中への兵站ルートはマジで危険だから。
ホントこんな所ばっかりだぞ。
Pauline Lin五虎将軍は過大評価されてるんだよなぁ。
確かにあの五人は良い武将だけど、魏と呉にも才能豊かな大将軍がたくさんいた。
Geoffrey Richard Driscoll-Tobin 劉備は将軍たちを賢く使わなかったと言われている。
張飛と関羽を町の防衛の責任者にするのは、
野良猫を歩哨の任務につけるようなものだ。
Li-Geng Tian質問者は三国志演技の影響を受けすぎだよ。
あの小説は明らかに劉備に肩入れしてて、
奴は優しいだの慈悲深いだのとヨイショしまくってるんだよ。
そのうえ、劉備の息子が臆病で諸葛亮を信用しなかったから
蜀が滅んだと責任を押し付けてやがる。
実際、ホントのところは全然違うんだよ。
魏は常に蜀を上回る軍事力を持ってたし、
より多くの優秀な将軍や文官をがいたし、
より大きな土地と経済力を持ってたのさ。
Geoffrey Richard Driscoll-Tobin 息子の劉禅が馬鹿になったのだって、劉備が地面に投げつけたせいで
強く頭を打ってしまったからだろうなw
Seth Ng劉備の最高の軍略家たちは、蜀漢の早い時期に死んでしまった。
だから、すべての仕事を諸葛亮がやらなきゃいけなかった。
徐庶は曹操に降ってしまった。
龐統は崖から落ちたか張任の矢で殺された。
法正は良く分からん内に死んでた。
もしこいつらが死なずにいれば、諸葛亮も忙殺されることもなく
自分の仕事に専念することでもっと違った結果になったかもしれん。
「馬鹿も三人寄れば諸葛亮を超えることもある」ということわざがあるように
これが蜀が負けた大きな理由なんだわ。
Joseph Then劉備は人材を集めることに長けていたが、戦略は酷い。
諸葛亮は戦略に長けていたが、人材収集はド下手。
だから劉備が生きていた時は、人材がザクザクと発掘されてたが、
死んで諸葛亮が実権を握った後は、姜維しか出てこなかった。
新たな人材に恵まれんかった蜀は滅ぶのが宿命ってもんだ。
Zhang Olve劉備が負けたのは、その性格のせいだろうな。
その性格によって関羽や張飛、諸葛亮を得ることはできた。
その性格から生じるカリスマ性・魅力によってな。
だが、関羽の死が全てを変えてしまった!!劉備はその性格により、孫権を戦うことを選択してしまう。
それよって70万の将兵が失われた。
だが、歴史にifはない。
関羽の死で何かもが変わってしまったんだよ。
Marilene Riddle劉備 (私の考えでは蜀) は、魏や呉に比べると自国の才能が深刻なほど乏しく、それが蜀の没落を招いた。結局のところ、中国に「
蜀中无大将,廖化作先锋(蜀には将軍がいないから、廖化が先鋒を務めることになる)」という言葉があるのが全てだよ。
明の時代に、有名な歴史家の李卓吾が「蔵書」を書いて歴史上のさまざまな重要な人々の短い概要を詳しく述べてるんだが、興味深いことに、武将のランキングでは、呉の呂蒙、陸遜、陸抗、魏の張遼、鄧艾が、関羽や張飛よりも上位にランクされてるんだよ。
同様に、北宋の歴史家の張雨も歴史上の偉大な将軍のリストをまとめてる。
魏は6人(張遼、張郃、徐晃、李典、鄧艾、司馬懿)、呉は4人(周瑜、呂蒙、陸遜、陸抗)、蜀は3人(諸葛亮、関羽、張飛)。
従って、劉備が最高のチームを抱えていたというのは間違いで、
蜀が負けたのは「必然」だったってことだね。
李卓吾の武将ランキングめっちゃ見たい!三国志だけじゃなくて、白起とか岳飛とか韓信とか楽毅とか張世傑とか、
明までの全武将から選んだ格付けな訳でしょ。
そんなん絶対面白いに決まってますやん。
そんな訳で、探したわけですよ。一生懸命。
・・・うん、見つからんかった。orz
探し方が悪いんだろうか。誰か情報持ってません? |ω・`)チラ
何気に廖化がディスられた言葉が出来てて笑った。
あれって本当なのかな。気になる。
お、こっちはググったら一発で出てきたよ!
蜀中无大将,廖化作先锋
(直訳:「蜀には、もうよい将軍がいないので、廖化が先駆けを務めることとなる」、「廖化」は三国蜀の武将、三国志演義では愚将ではないが偶に失敗を犯す老将として描かれる)優れた者がいないところで、平凡な者が指導者然とすることの喩え。鳥無き里の蝙蝠。
これは酷い。(笑)
廖化よりも使えない武将が他に一杯いただろうに、
危険な先陣を務めた挙句に後世まで汚名が残るなんて!
一体どうしてこんなことになったのか。
ちょっと責任者を探してみよう・・・
廖化(リョウカ)
関羽の主簿として荊州で務める。後に丞相参軍、右車騎将軍と昇進。北伐へ参戦。姜維と共に蜀が滅亡する日まで戦い抜いた。
蜀漢を支えた名将ながら、一部のゲームでは秀でた能力がない事を理由に"地味"や"凡将"と呼ばれている。しかし戦争において地味というのは脅威な存在である事も付け加えておく。
演義では、関羽千里行の頃に関羽本人に直接召し抱えてもらいに行ったのが初登場と正史に比べ大きく時代が遡る。ただしその時は黄巾残党と言うことで断られている。後の荊州時代にいつの間にか関羽の部下として登場してくるが。関羽が呂蒙との戦いで麦城へ追い詰められた際、上庸の劉封へ救援を求めたが孟達に拒絶され成都まで走らされた。結果、関羽は呉軍に殺され、劉封も処罰を受ける。その後、北伐では多くの戦功を立てるが、司馬懿を追いつめた戦いで、逃げ道と逆の方向に冠を落とした司馬懿の釣りにひっかかり逃してしまう。諸葛亮は蜀軍の将の小粒ぶりを嘆いた。
これだっ!!そういえば、横山三国志で孔明がガッカリしてるのを見た記憶あるわ。
あれをやらかしたのが廖化だったか。すっかり忘れてたよ。
とりま、この司馬懿にアッサリと手玉に取られた史実にない作り話のせいで、
「蜀中无大将,廖化作先锋」なんて諺が出来たそうな。
つまり、三国志演義を書いた作者(羅貫中?)が悪い。(^_^;
このイメージは現代にどんな影響を与えてるんだろうね。
三国志のゲームの能力値パラメータを見てみよう。
んんん?
そんなに悪くないね。
ていうか、むしろかなり使える武将になってますよ。
知力が20とかになってるんじゃないかと心配したけど、
ちゃんと評価されてるようで良かった。なんかホッとした。
三國志11 with パワーアップキット|オンラインコード版 (
シリーズ最高傑作と言われる11。メッチャやりたい!時間、時間をくれ!)
廖化で時間とスペースを喰われたので、後は巻きで。(え
諸葛亮と五虎将軍がいたのに劉備の蜀が滅んだ理由については、
当の中国人たちも日本の三国志ファンと同じような見解でした。
戦力や人材、経済の格差とか演技に夢見すぎとか。
正直、もうちょっと本場ならではの意見が聞きたかったけど・・・残念デス。
ただ、徐庶と龐統と法正が残ってたらワンチャンあったかもという意見には、
管理人も同じ夢を見たことがあるんでメッチャ共感しましたよ。(゚∀゚)
この三人がいたら、諸葛亮が関羽と一緒に荊州に駐在できて、
呉にしてやられることは無かったかもしれない。
そしたら呉と共闘して北伐が成功してたかもしれない。
あぁ、そんな世界線を見てみたかったー。
いやホント、曹操が死んだ後の魏はかなりゴタゴタしてましたからね。
その機に乗じれば案外すんなりと・・・なんて妄想したくなる。
あ、張松なんて文官もいたよね。彼はどうして死んだんだっけ?
うわ、今夜は朝まで横山三国志マラソンせんと。
個人的には、むしろ孫権&呉は何やってたのって感じですわ。
周瑜が早死にしたのは仕方ないとしても、
呂蒙、陸遜、陸抗、魯粛、諸葛瑾などなど割と人材いたよね。
赤壁で勝ってから荊州まで奪ったのに、その後どうしてたんだろう。
いかん。孫権サイドはほとんど記憶にない。
呉を主役にした漫画が無いからいけないんだ。
誰か面白いの描いてくれませんかー。(^_^;
ふぅ、三国志ネタは他にも言いたいことは山ほどあるんだけど、
切り無いのでこの辺にしときます。次は蜀の武将で打線組みたいw
横山三国志は人生。喜怒哀楽の全てがここに。
これは読まないと人生の何パーセントか損しますよ。(マテ
いやでも管理人はこれから入って、吉川英治小説、光栄ゲームと王道を歩み、
それでも飽き足らずに色んな三国志ものを漁ってきましたからね。
本当に出逢えて幸せでした。
「覇-LORD-」もメッチャ面白かった。ただし畳み方w
「泣き虫弱虫諸葛孔明」のコミカライズ3巻で終わっちゃダメでしょ!
これはもう酒見賢一の原作に手を出すしかないわ。
「三国志 完結編」は
孔明亡き後の蜀を描いた珍しい漫画。
スターが姜維ぐらいしかいないので地味だけど興味深かった。
「一騎当千」がまだ続いてたことに驚愕。
関羽のパンチラにときめいていた頃が懐かしい・・・
◆
三国志 (1) 桃園の誓い (希望コミックス (16)) ◆
覇-LORD-(1) (ビッグコミックス) Kindle版 ◆
泣き虫弱虫諸葛孔明(1) (ビッグコミックス) Kindle版 ◆
三国志 完結編 1 連弩の法 (MFコミックス フラッパーシリーズ) Kindle版 ◆
真・一騎当千(4) (ヤングキングコミックス) Kindle版 ※お知らせ 今後は更新通知をツイッターに切り替えたいと考えていますので、
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所詮二世紀頃の話やしあのクソ広い中原で戦国時代の日本くらいの人口しかおらんのやから密度はスカスカよ
赤壁の戦いとか二桁は盛ってる