元ネタ
reddit.comすいません。
今日も少し重たいテーマになってしまいました。
どうしても頭から離れないトピックだったもので・・・
なんでしたら裏ブログで更新した以下の記事から読まれては如何でしょう?
■
現地レッドソックスファンの声「上原浩治は money in the bank 」その意味は・・・上原の明るい話題で気力アップされた方もそうでない方も続けますね。
お題は、記事タイトルの通りです。
長く苦しい日本人強制収容所生活からやっと家に帰って来れたと思ったら
そこには僅かな希望を打ち砕くような中傷落書き。
しかし、気丈にもその落書きの前で写真を撮っていた日本人家族がいました。
その写真を見て外国人たちがどんな感想を漏らすのか?
では、興味の無い方もぜひ続きを読んでみて下さい。
<注: 写真の家族は正しくは日系アメリカ人かもしれませんが、ソースが
日本人としていますので、以下もそのまま日本人としています>
standardbrazil(トピ主)A Japanese family returning home (Seattle, Washington) from a relocation center camp in Hunt, Idaho on May 10, 1945
(1945年5月10日、アイダホ州ハントの収容所からワシントン州シアトルの自宅へ帰還した日本人家族)
(ここにジャ〇プはいらねえ!) blazingfaggt日本人の父親が顔に笑みを浮かべてるのが良いな。 BeatDigger 俺もそう思ったよ。彼はとても勇敢な顔をしてる。
contreramanjaro 俺には茫然自失の中、家族の前で気丈に振る舞ってるように見えるがね。
この件についてもう少し付け加えると、日本が真珠湾を奇襲したとき、
当時の人々はその途端に"東洋人"差別を始めたわけじゃないんだ。
黄禍(論)は根強く残っていたし、俺たちの効率的なプロパガンダ・マシンは
地球の裏側でいくつもの都市をいやってほど爆撃するのは別に構わないという
空気を作ってる真っ最中だったんだ。
黄禍論は中国人移民に対しての問題だったんだが、ベトナムの位置すら
知らない国の人間たちには中国と日本の区別なんてほとんどされなかったろう。
Pocahontas_Spaceman これが笑ってるように見えるか? zeniiz Shikata ga nai が彼の笑みの理由に関して洞察を与えてくれるかもしれん。
wintertash 他の人が言ってるように彼は無理に平気な顔をしていたもかもしれないけど、
やっと家に帰れて本当に嬉しかったのかもしれないよね。
非常に多くの日系アメリカ人は収容所から帰還すると町の政治家と見せかけの
手続きをした赤の他人に自宅が奪われていたという経験をしてるんだ。
彼の家は壊されていたかもしれないが、奪われてはいないようだから。
HeyPrivate国として最も誇れる出来事ではない。明らかに。 The-Prophet-Muhammad 俺らがやらかした"悪事"を思えば、これはまだヌルい方だよ。
ただ、俺はこの件を決して許してる訳じゃないことは留意しておいくれ。
BAXterBEDford 悲しいことに、これ以上に酷いことを俺らはたくさんやってる。
sam712 コロンブスが初めて到達したときに
何をやったか読んでみろよ。
コロンブスがカリブ海諸島で指揮した行き当たりばったりの大虐殺は、「黄金探し」を使命としたスペイン海軍によって体系化され、 あらゆる部族の子供以外のインディアンが、3カ月以内に一定量の黄金を差し出すよう脅迫された。金を届けたインディアンには、「スペイン人に敬意を表した」という証しとして、その男女に首かけの標章が贈られた。金の量が足りなかった者は、男だろうと女だろうと手首が斬り落とされた。
Jakedubbleya ↑ コロンブスはアメリカ人じゃねーよ!!maybe_someday_お前が歴史小説ファンで日系アメリカ人抑留に興味があるのなら、
ジュリー・オーツカ著「天皇が神だったころ」をおすすめしとく。
Isuperserial 俺の祖母ちゃんが収容所に送られてた。
その本の内容は隣人に起こった実話かもしれないってさ。
ありえないほど実直で感動的、間違いなく読む価値があるよ。
MONDARIZ大戦中にアメリカで日本のためにスパイ活動をして
捕まったのは僅か10人。
それらの全員が白人だった。 Duderino732 ハワイのニイハウ島に不時着した真珠湾攻撃の爆撃機のパイロットが
その島の日本人居住者3人に助けを求めた一連の
ニイハウ島事件。
3人の日本人島民が即座にパイロット側についたことが、捕虜収容所を作る
一因になったのかもしれないな。
MomoTheCow 真珠湾を泳いで軍艦を数え日本に何度も情報を流しいてたという
日本大使館の男はどうなんだ?
MONDARIZ ↑ 彼は米国市民でもなければ移民一世でもないだろ。
mayorjimmy「最も偉大な世代の人々 [The "greatest generation" folks] 」大戦中の彼らがいかに偉大だったかを人々が語りまくってる時、
捕虜収容所の事が全く話題にのぼらないってのは笑えるね。
Ivanator2294 お前がどこの高校を出たのか知らんが、この話題はこれまでずっと
問題提議されてきたことだろ。
mayorjimmy ↑ 俺は学校で習った時にスルーされてるって言ってるんじゃない。
彼らを称賛するテレビ特番とかのことさ。
Panzerdrek 全く話題にのぼらないだとぅ!?
90年代、俺の高校の歴史授業ではほぼ全章に記載されてたぞ。
大学に行ったら、大戦の焦点はさらにそこへ当てられてるようだったがな。
Junglefart おいおいちょっと黙ってろや。
家に落書きされるなんて時代と状況を考えたら屁でもねぇこったろが。
clitterati ↑ 「捕虜収容所」から帰ってみたら家に酷い中傷の落書きをされていて、
周りの住人が自分たちを日本人だから憎んでいると思い知らされることは
マジで屁でもないことだよなあ。(棒読み)
Junglefart ↑ 戦争をやってたんだぜ。ああそうさ、こんなのぬるぬるだよ。
mayorjimmy ↑ じゃあなにか? 彼らはこの程度で済んで感謝すべきだってのか?
mwilson444419俺らはこんなこと学校で習わなかった。
それは本当に恥ずかしいことだ。 WIDE_OPEN_BEAVERS 俺の公立学校でもこなんこと教えてなかった。
これまでの人生を振り返ってみても何でこの事を俺は知らずにいれたんだ?
出来ることなら当時に戻り私立学校に入って勉強し直したいよ。
Blue_steel74y俺が育った町には、大戦中に収容所へ送られていた農夫がいたんだ。
彼は農場と土地を(仕方なく)向かいの農夫に1ドルで売った。
そしてその日本人農夫が収容所から戻ってきたとき、向かいの農夫は
彼に土地を売り返したんだ。1ドルで。その日本人は今でもその農場を経営してるよ。
全てのアメリカ人があの写真のように酷い事をした訳じゃないんだ・・・
FoodBeerBikesMusicフォート・マイナー『 Kenji 』の歌詞
「だが、彼らが家に戻った時、そこで見た光景はとてつもない孤独を感じさせた
全ての部屋がぶち壊され、窓は粉々に割られ、ドアも叩き潰されていた
そして壁や床にはこう書かれていたんだ
" ジャップはもうお呼びじゃないんだよ " 」
whitewidows10 ああ、フォート・マイナーのケンジって歌は聴くべきだ。
第二次世界大戦中の捕虜収容所についての話だから。
weegeeモニカ・ソネの『Nisei Daughter』
ジャンヌ ワカツキ・ヒューストン『Farewell to Manzanar』
この2冊を読むことを強くお薦めしておく。
大戦が始まった時、罪のないアメリカ市民へ行われた犯罪について
もっと詳しく知ることができるから。
Durttあの父親の顔を見たら心が潰れそうになるよ・・・
soparamens強制収容所 [concentration camp] から分かること在留資格がどうとか関係ねぇ、たとえアメリカ市民だったとしてもだ。
結局、全てはどんな人種かが問題なんだ。
GigaRebyc 適切な言葉は捕虜収容所 [internment camp] です。 concentration は非常に間違ってますね。
soparamens ↑ ホロコースト否定派がよくそれと同じ議論をしてるよ。
それって単なるレトリックに過ぎんだろ。
事実は、完全な市民権を持った人たちが家から引きずり出され、
捕虜として収容所に連れて行かれた(他の選択肢無しで)ってことだ。
俺らメキシコ人が使う言葉だが、檻がゴールドで作られてるかなんて
重要じゃない、それが監獄かどうかだ。
GigaRebyc ↑ 君が何を言ってるのか分からないよ。
何でホロコースト否定派が、日本人捕虜収容所か強制収容所かという
言葉の適切さについて議論してるんですか?
強制収容所というのはほぼ全ての場合で、捕虜が完全に虐殺された
ナチの強制収容所のことを指すんです。
soparamens ↑
強制収容所 [concentration camp]
「外国人や少数民族、政敵などを禁固・抑留する監視された収容施設」
ほうらごらん。
捕虜収容所 [internment camp] なんてアメリカのプロパガンダさ。
北朝鮮やキューバが「
再教育収容所 [reeducation Camps] 」なんて
おためごかしをやってるのと変わらねーよ。
この用語の違いは管理人も混乱してます。
元スレで強制収容所 [concentration camp] という言葉を使ってたのは
最後の soparamens 氏だけで、その他は捕虜収容所 [internment camp] 、
relocation [移住・再配置] camp、detention [監禁・拘留] camp、
そして単に camp という言葉を使ってました。
ぶっちゃけ、どれかに統一してよと思いましたが、アメリカでも同様に
この用語論争が大戦中から続いてるようです。
そして今のところは、捕虜収容所に落ち着いてるのかな。
英語版wikiでも、日系人抑留のページでは internment camp が使用されてます。
そこに用語論争の件も記載されてましたが、長くなりますのでまた別の機会に。
管理人はこの記事タイトルであえて強制収容所と書きましたが、民間人を捕虜と
するのはどうかと思ったのと、仮に日系アメリカ人が捕虜だったとしても彼らが
捕虜待遇を受けたとはとても思えなかったのでそうしました。
本題の強制収容所から酷い中傷を書かれた家へ帰還した日本人家族の写真ですが、
父親の表情に注目した外国人が多かったですね。この状況で父親の顔が笑ってるように見えることに、肝がすわってる、勇敢だ、
いやあれは落胆した姿を家族に見せないように平静を装っているんだ、などなど
外国人たちにはいろいろと思うところがあったようです。
しかし、あの表情の真意は知る由もありません。
彼がアメリカへ来てどんな生活を送っていたのか、収容所でどんな境遇だったのか、
それが分からない自分には想像するしかないのですが・・・
でも彼の心情の一端が窺えるかもしれない歌が紹介されてました。
フォート・マイナーの『 Kenji(ケンジ)』。
これはアメリカの人気バンド、
リンキンパークのマイク・シノダのソロプロジェクト
から生まれた曲です。日本語訳詩付きの動画がありましたのでまずは観て下さい。
Fort Minor - Kenji 和訳 ・・・・・・歌詞を読んでたら何か込み上げてきた・・・
自分がこんな目に遭ったら絶望するわ。だけどこれも彼らが受けた仕打ち、くぐり抜けてきた道の一面でしかないですよね。
詳しい日系人の強制収容については
コチラを読んで下さい。
上記のように、準備期間すら満足に与えられなかった上、わずかな手荷物だけしか手にすることを許されず、着の身着のままで強制収容所に収容された日系アメリカ人及び日本人移民は、強制収容時に家や会社、土地や車などの資産を安値で買い叩かれただけではなく、中にはそのまま放棄せざるを得なかった者も沢山いた。しかもその後長年に亘り強制収容時に手放した財産や社会的地位に対する何の補償も得られず、その結果全ての財産をこの強制収容によって失ってしまった人もいた。
なお、大統領行政令9066号の発令に伴うこの様な措置に対してフランシス・ビドル司法長官は「西海岸の反日感情に迎合し日系人の所有する農地を手に入れようとする利益誘導が絡んでいる」と強く批判している。
この部分を読んだだけでも暗澹たる気持ちにさせられる。
実際に全てを失った人たちは絶望どころじゃなかったでしょうね。
本題の写真の父親は、家が残っただけでも良かったと笑ってるという風に
解釈できるかもしれませんが、同じく収容所生活を送った日系人たちの多くが
家や土地を失ったことを思えば、とてもそんな心境じゃなかったのでは?
やはり家族を不安にさせない為の表情だと管理人は思ったよ。
アメリカで捕まった日本のスパイが全員白人だった件やニイハウ島事件、
本物のスパイだった森村正こと吉川猛夫、アメリカの学校ではどの程度が
日系人強制収容の事実を教えているのかなど他にも触れたいことがたくさん
あるのですが、いつもの様に時間とスペースの都合によりこの辺で終わります。
個人的に、この記事を書いてて何故か頭に浮かんでくる歌がありました。
それは、ボズ・スキャッグスの『ウィ・アー・オール・アローン』です。
この歌は初めて聴いた時から大好きで歌詞の意味を自分で訳したりしてました。
でも訳詩付きの動画がありましたので良かったら聴いてみて下さい。
We're all alone 訳詞付- Boz Scaggs全くシチュエーションが違うテーマなのにね。
だけど不思議とこれが頭の片隅でずっと再生され続けてました。
恐らく、歌詞の特にこの部分が今回の件に自分の中で共鳴したからかもしれない。
「 もう大丈夫 なにも心配いらないよ
忘れよう また全部やり直そう
そう出来ると信じてみるよ 」この家族が一日でも早くこんな心境になれてたらいいのに。
そんな勝手な願望からですね。きっと。
この動画の方は素敵に和訳されてるみたいですけど、管理人はこの部分、
>Learn how to pretend
>出来ると信じてみるよ
これをもっと直訳的に、過去を水に流して一からやり直そう、
そう思い込む(自分を偽る)術を学ぼうと和訳してました。
それだけに、より写真の父親の表情と被ったような気がします。
最後に、今日この話題を取り上げたのは単に自分が辛かったからです。
自分一人で抱えるには重すぎたのでここの皆さんに共有して欲しかった。
そんな悲しみのお裾分けで本当に申し訳ないです。
いつか幸せのお裾分けも出来るよう頑張りますんで宜しければ気長に待って下さい。
みんな!オラに力をわけてくれ!!
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