元ネタ
reddit.com/r/todayilearned/誰とも結婚せずに処女王エリザベス1世は死んだ・・・
子がないのに次のイングランド王は誰になるのか?
エリザベス1世は日本でも誰もが知る有名な女王様ですが、
その次のイングランド王に誰がなったのかは、
割と知られてないというか、忘れてしまってませんか?
ザ・ヴァージン・クイーンの彼女には当然子供がいませんでしたし、
兄弟姉妹も既に全員死に絶えていました。
さて、どうする?
そこで白羽の矢が立ったのが、
スコットランド王ジェームズ6世でした。
イングランド王ジェームズ1世の誕生です。
これにより管理人の大好きなテューダー朝は絶え、スチュアート朝へ。
彼は、エリザベス1世の父であるヘンリー8世の姉マーガレットの曾孫でしたから、薄いながらも血の繋がりはあった模様。
さて、イングランドではジェームズ6世改め1世となった彼ですが、
母国とアイルランドを含めた大国の王様になってウハウハ・・・
かと思いきや、そうでもなかった。
エリ・パパのヘンリー8世が教皇と喧嘩してカソリックと断絶してたから、
国内では国教会(プロテスタント)とカソリックの争いが続いてたり。
しかも、自分の王妃に浪費癖があって財政までアカン・・・
まぁ本人も王権神授説(俺は神に選ばれし者、誰も逆らうな!)とか言ってたんで自業自得なとろこもあるかも。
その辺が祟って息子が王になった時には革命が起きちゃいました。 (ノ∀`)
学研まんが NEW世界の歴史7 フランス革命と産業革命(エリザベス女王~ピューリタン革命~フランス革命~産業革命)
まぁともかく、現在では良いイメージがあまり無いというか、
単純に影の薄い王様のような気がします。
現地でのベスト・ワースト王アンケートではどっちにも名前が挙がらないし。
だがしかし、そんなジェームズ1世が実は日本と繋がっていたと。
あの徳川家康・秀忠親子と何度も書簡をやりとりしお互いに贈り物もしてた。
少し前に彼の母親のドラマ「クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮」を観てたばかりだったんで、凄く感慨深いものがありましたよ。 (^_^;
ホントこういう異なる歴史の邂逅・交錯って面白いわー。
という訳で本日のお題は、家康・秀忠とジェームズ1世。
意外な組み合わせの繋がりに驚いた外国人が、
巨大英語掲示板レジッとでスレを立てました。
向こうの人がこの関係に興味を持ってることが嬉しくて取り上げてみましたよ。
では、興味のある方は続きをどうぞ。^^
TIL That in 1613, the Shogun of Japan sent a varnished Samurai suit of armor to King James I as a gift. King James I and the Shogun also sent many letters to each other over many years.
今日知ったこと:1613年、日本の将軍は、ジェームズ1世に光沢仕上げの甲冑一式を贈った。ジェームズ1世とその将軍は、長年に渡り手紙のやりとりも多くしていた。7年前の投稿
varyaranevsky スレ主オリジナルの甲冑一式がこれだ。
今現在は、展示のためにロンドン塔に飾られてるよ。
ジェームズ1世は、ウィリアム・シェイクスピアと同年代の王様で、
欽定訳聖書 [King James Bible] の仕掛け人でもある。
彼は日本の将軍である徳川家康とその息子で世継ぎの徳川秀忠と
長距離間の文通をしてたんだ。
彼らは両国間の貿易協定を確立するために贈り物と手紙を交換してたんだが、
結局、1620年代におじゃんになった。
その将軍は1630年代に西洋への扉を閉じてしまったからな。
McGuffin なんという遠距離交際! chewp911 そのヤバイ甲冑、見てきたぜ!マジ最高だった!
Chas Spain興味深い歴史の一コマを披露してくれてありがとう!
Opalla面白い歴史の1ページを開いて見せてくれたことに感謝!
大戦中、日本に香港を占領されたとき、
イギリス人は日本人と対話・交渉するべきだったよね。
検索すればいろいろと興味深い話が出てきますよ。
私の両親は当時10代後半でその香港にいたんです。
specken_zee_Doitch有名人たちが時に文通しお互いに凄い贈り物をした。
そんなことを今日初めて知ったというのか?
plastic_fir いうてもこれ、400年前の話やで。
世界の端から端へメッセージを送るのに数年かかるんや。
その距離で文通を続けたことは注目に値するんやあらへんか。
Plob 本当になんでだか自分でも分からないのだけど、
こういう歴史的な文化の邂逅が大好物なんだ。
俺のお気に入りのを一つ披露させてもらうと、
ビザンティン帝国の代々の皇帝は、ボディガードとして海賊を雇ってた。
あのヴァイキングたちをだよ!
[deleted] 彼らが文通した手紙の内容をまとめた本てある?
varyaranevsky スレ主 俺は知らないな。
ジェームズ1世は数冊の本を出版してるし、
将軍が受け取った手紙は東京に保管されているんだが、
その手紙をネットで見つけることはできなかったよ。
shazbotter 俺はずっと疑問に思ってたんだけど、
一体どうやってあの時代の人たちは、
言葉の壁を破ってお互いにコミュニケーションをとってたんだろうか?
誰か何か知ってるかい?
varyaranevsky スレ主 現代と同じさ。
お互いに互いの言葉を学ぶんだよ。
カトリックの宣教師たちは、それを本当に上手くやってのけてた。
だって聖書を現地の言語に翻訳しなきゃいけなかったからな。
それに、ポルトガル語を話せる日本人もいたし、
日本語を話すポルトガル人宣教師もいたんだ。
あと、ポルトガル語とスペイン語の分かるイギリス人もいたしな。
そうやって彼らはコミュケーションをとってたんだよ。
1500年代後半に日本に上陸して、あっという間に日本語を学んで
将軍の親友となったウィリアム・アダムスという英国人がいたんだ。
その後の生涯をずっと日本で過ごし、武士になって日本人女性と結婚した。
彼は将軍と一緒に住んでいたこともあったな。
彼と英国の東インド会社にいた他の英国人男性が、
英国と日本の間の全てのコミュニケーションをほぼ処理してたんだよ。
smokesteam ↑ 俺が補足しておくよ:
ウィリアム・アダムスは、ジェームズ・クラベルの小説「Shogun」と
それ以降のミニシリーズのモデルとなった人物。
日本には、按針町という彼に由来する地名がある。
theGZA私が幼かった頃、父は有名人でした。
父はその皇国で最も優れた侍であり、将軍お抱えの首切り人だったのです。
主の為に131もの首を切り落としました。
当時は皇国の状況が悪化していたのです。
将軍は、父を城の中に留めようとしましたが、父は応じませんでした。
民は言いました。父に鬼が憑りついたと。
父は将軍を恐れていませんでしたが、将軍は父を恐れていました。
たぶんそれが問題だったのでしょう。
ある夜、将軍は忍者を我が家へ放ちました。父を殺すためです。
しかし、彼らが父を殺すことはありませんでした。
何もかもが変わってしまった夜でした・・・
varyaranevsky スレ主 クソワロタw
イエス、これはとある映画ネタだよな。わかります。
Modest_Proposal ↑ 映画だけじゃなく、「子連れ狼」の原作漫画の読んだ方が良いぞ。
この処刑人の壮大なストーリーは素晴らしい読み物だから。
theGZAスレ主がキングとアーマーの話なんかするから思い出しちまったよ。
ヘンリー8世のヘルメットを。((((;゚Д゚))))ガクブル ・・・
Legollama それで敵を恐怖のズンドコに叩き落して気絶させるんだYO!
nickpick ビル・ゲイツの私服ファッション中世版だな。
Genki Jasonウィリアム・アダムスの物語の方がずっとロマンティックで興奮する!
だけど、ナイスな話題だったよ。
mocteeuczoma現在の非クリスチャン国家たちの中で最強の国が、
あの時代に最もキリスト教信者のヨーロッパ人を疑い嫌悪していたというのは、
なんか興味深いと思わないか?
もし日本がヨーロッパへの扉を閉じていなかったら、
今頃はアメリカの51番目の州だったかもしれないな。
フィリピンはよりオープンな政策を採用したから完全にやられた。
現在のフィリピンはクリスチャンが大量にいるが、
現在の日本には大量の金がうなってる。
[deleted] ちょっと特定の例にだけ偏り過ぎてるな。
俺はそのルールに該当する他の例をいくつか挙げることができる。
アフガニスタン vs インド
南アフリカ vs コンゴ民主共和国
eiketsujinketsu6-7年前にロンドン塔を訪れた時にその甲冑を見ました。
そこには他にも興味深い展示品が山ほどありましたよ。
それを思い出させてくれたことと背景情報の提供に感謝します。
smokesteam戦国時代から江戸時代初期にかけてが、
日本の歴史の中では驚くほど興味深い時期なんだよ。
1625年から1850年にかけて凄くぬるくなって、
明治維新でちょっと盛り返すけど、1905年まではまた退屈になる。
varyaranevsky スレ主 高校の授業でやった日本の歴史を少し憶えてるよ。
だけど、大学で学んだヨーロッパ植民地時代の方が興味を惹かれた。
彼らの文通もその時に初めて知ったんだ。
これは本当にクールだよ。
smokesteam 俺は学校じゃあ日本の歴史を何一つ学ばなかったわ。
hosndosn見つけた! これがその手紙の一つじゃね!!
オオゥ・・・これがジェームズ1世から家康親子に送られた手紙かっ。
ふむふむ、ふむふむ、ふむふむ、ふむふーむ
うん、なんて書いてあるのかサッパリ分からん。(ノ∀`)
スレ主が東京に保管されてると言ってたけど、調べてみたら
どうやら
東大にあるっぽい。
東大に関わりのある皆さん、何か知りませんかー?
徳川家康とジェームズ1世ですが、不思議な共通点もありますね。
1603年に、ジェームズはイングランド王になり家康は征夷大将軍になった。
カソリックに悩まされたところも似てるかな。
もう少し、今回のテーマを補足しておきます。
上の絵画のジェームズ1世からの手紙を届けてくれたのは
東インド会社の貿易船クローブ号の船長ジョン・セーリスです。
そして彼を招待したのが、ウィリアム・アダムズ(三浦按針)。
クローブ号が日本に到着したのは1613年のことでした。
家康は1605年には秀忠に家督を譲ってますが、まあ実際には・・・
でも、あの甲冑をセーリスに託しジェームズ1世に贈ったの秀忠らしい。
(奈良の岩井与左衛門が作ったという)
しかし、朱印状を与えて貿易を許可したのは家康っさんですね。
(オックスフォード大学のボドリアン図書館にある実物?)
ジョン・セーリス船長はジェームズ1世からの手紙・贈答品だけでなく、
日本にはまだ無かったものをもう一つ持ち込んできてたり。
それが、ビールだったという。
今やビール消費大国になった日本に初めてお目見えしたのがこの時?
すると2013年はビール400周年だったわけか。
いや、やはりそこは普通に日英国交400周年ですよね。(笑)
ただ、皆さんご存知の通り日本は家光の時代に鎖国(1639~)へ突入。
ジェームズ1世も1625年に亡くなり、その後、内戦・革命へと向かうのでせっかく国交を結んだ日英の関係もひとまず終了と相成りました。
もし、この繋がりが切れてなかったらどうなってたかなぁ。
個人的には、もうちょっとエリザベス1世の話をしたかったなと。(え
ジェームズ1世の母であるメアリー・スチュアートは生涯のライバルだったし、
ジェームズ1世の名付け親がエリザベスだったりするんですよ。
シェークスピアとかも生きてた時代だしテューダー朝はホントお薦めです。
きっと近いうちにネタにすると思ふ。
あ、イギリスに行かれることがあったらロンドン塔へ行って、
家康親子からの贈り物を拝んできてください。管理人も分も。(つД`)
あと、ヘンリー8世の兜はいつ見ても噴かされる。
あの時代にあのセンスは神懸かってるというか有り得ないでしょ。
もう、オーパーツ認定で良いんじゃなイカ?(マテ
あ、イギリスのビールって飲んだことないな。
バドワイザーとハイネケン、カールスバーグは違うか。
何でこんなに日本で知名度ないのか
不思議。
三浦按針(ウィル・アダムス)もいつか取り上げたい人物。
マルコ・ポーロみたいに最後は故国へ帰してあげたかったね。
◆
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