元ネタ
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今シーズン放送中のアニメをまだ観てない。
だって、管理人の地域では4月からスタートなんだ。
まぁBSでは放送してたのだけど、気付かなかったし、
どっちみその頃は観てる時間もなかった。
しかし、高木さんが西片くんをからかうだけの話を
よくここまで続けてきたなぁとネタの尽きなさに感心する。
そのうえ大人バージョンまでやってるし。ホント凄いよ。
そんな流れをぶった切って本日のお題は、外国人が日本を離れる理由。
恐らく日本が好きで、興味があってやってきた外国人たちが
どうして長く滞在した日本を出て行くのか?
以前、それと似たテーマの記事を書いてます。
・
アニメを愛する外国人たちがそれでも日本に住みたくない理由がひどいこれはこれで面白いネタだったと思いますが、
イメージや憶測でのコメントが多かったのは否めない。
そこで今回は、実際に日本に住んでいた外国人の意見を拾ってきました。
では、興味のある方は続きをどうぞ。^^
Why did you leave Japan?
なぜ日本とお別れしたの?
Gregory Moulinet 上海 男性2018年3月9日に回答
私は日本に2度住み、2度とも離れた。
1度目は1991年から1999年までの間。
これらの9年間はアーティスト、その後にデザイナーとして過ごしたが、
本当に信じられないような素晴らしい体験だった・・・
活気が消えてしまったと私が感じるまでは。
その90年代は現在、「失われた10年」と呼ばれている。
フランスから来た私にとって、東京は斬新で未来のように映った。
80年代の活況が未だに継続しているのだと。
日本語や木工を学び、ガイジンの出世街道を突き進み、デザインの為にコンピュータを駆使し、インターネットを探索し・・・友人、食べ物、飲み物、ビジネス・・・その全てがエキサイティングだった。
だが、そんな毎日にもいつしか慣れ、ただの日常となって行った。
全てが繰り返しになり始め、かつて私を魅了したものへの関心が薄れた。
「もう自分がここでするべきことは何もない」
そう思った瞬間を今でもよく憶えている。
私はパワーブックを購入し、持ち物を売り払ってパリへ帰国した。
そして半年後、新たな冒険の為にニューヨークへ向かった。
あの時、日本を離れたことは全く後悔していない。
しかし、ときどき想像することはある。
もしも日本に留まっていたら自分の人生はどんな展開を見せたのだろうかと。
さらに言うと、私はある人物を知っているんだ。
同じ時代に日本へきた同じくデザイナーで、同じあの停滞を体験した男のことを。
だが彼は、そのまま日本でのキャリアを貫き通した。
そして最後には、途轍もない成功を手にしたんだ。
そんなことが可能だと分かっていれば、私も日本に残ったかもしれない。
2005年、私は日本が恋しくなり、休暇で数ヶ月を過ごすことに決めた・・・
そしてアメリカで運営していたデザイン会社を日本に戻って設立することにした。
私は日本で2つの会社を切り盛りし、何もかもが上手くいっていた。
2008年までは。
あの世界金融危機で私は全てを失った。
それから世の中を見渡してある結論に達した。
中国こそが人生をやり直すのに最良の場所だと。
そこが現在、私が住んでいる場所だ。
2009年からは、日本へ戻ってはいないし、そうしたいとも思わない。
福島以降、日本政府と日本社会を非常に批判的な目で私は見ている。
その事が完全に日本から純朴さと魅力を奪っていった。
この2度目の離日に関しては、全く心残りはなかった。
今も滞在していたらどうなっていたかと想像することもない。
ただ、私が持っている90年代前半の日本像をとても懐かしく想う。
Dhawan インド 女性2017年5月28日に回答
私が日本に住み始めてから2年半ほどが経とうとしています。
文部科学省の奨学生として私はここに来ました。
奨学生を終えた後、インドに戻って就職先を探すことを私は望んでいません。
私は日本が大好きです。
ここは清潔で、女性も安全です。
誰も人のことや人の選択を文字通り苦にすることはありません。
とても平和です。
私はインド人ですから、平和を感じる度に感謝する体質なのです。
この場所には日本の規律と考え方を維持する民族的な美しさがあります。
それでいて、テクノロジーとガジェットとギズモの中心地でもあるのです。
その両方のバランスが最高だとは言いませんが、
シュール [超現実的] な国であることは間違いありません。
私は菜食主義者です(宗教ではなく自分の選択で)。
ですらか外食はいつも大変でした。
ここに来た当初は、日本語のスキルがゼロでしたから。
にもかかわらず、私はこの場所が大好きだと言いたい。
それなのに今、私は日本を離れようとしています。
インドへ帰るのです。
私は仕事も家も合法的に働けるビザも持っています。
だけど、日本を出る決心をしました。
私が日本を離れる唯一の理由は、
キャリア的に成長できるとは思えないから。
私は資格を持った教師です。
私はインドで英語教師として働いていましたし、
日本でもALTとして働いています。
今年の3月に、このまま滞在すると私はALTだけで終わることに気付きました。
あなたの日本語がネイティブのレベルでない限り、
日本でキャリアアップすることは容易ではありません。
私の日本語はN3レベルですが、それでも求人は ALT しかないのです。
私には助けを必要とする人たちの為に働くという夢がありました。
ですが、それは日本では叶わない夢なのです。
ここは素晴らしい国です。
だけど、夢を実現するための人生を送りたいのなら、
自分が属する安全地帯から出るべきではありません。
Reid Butler 男性2017年4月25日に回答
一行でまとめると:
新しい入国管理法令のために割を喰いそうだから。
Igor Tetsuo Inocima ブラジル 男性2017年6月2日に回答
僕は7年間日本に住んでた。
日本語も堪能だよ。
日系ブラジル人(3世 Nikkei)でビザの問題もないし、
大手ビデオゲーム会社で凄く良い仕事もしていたし、
妻と子供は日本人だし、他にもメリットはたくさんあった。
要するに、僕には日本に住み続ける障害が全く無かったってこと。
だがそれでも僕は日本は離れた。
日本はあまりにも生き急いでると僕は感じてる。
生き馬の目を抜く競争市場や教育事情にハードワーキング。
チャンス、可能性は確かにありますが、
その見返りは費やした時間に対してあまりにも低すぎる。
僕が海外で得ることができると思ってるものと比較しても。
僕は東京や埼玉に住んでいたので、
混雑した通勤電車、長時間労働、短い休暇、小ちな住宅、子育てストレスの
多い環境などの小さな要因もありました。
それらはすべて個人的に何とかできるものですが、
実際に対応するにはあまりにも多くの労力を必要とする。
僕は今も日本を訪れることが大好きだし、年に2回は仕事で来日してる。
だから、素晴らしい料理と買い物、そして日本の友人たちと家族との時間を
まだ楽しむことができている。
日本での生活はグレートだからほとんどの人にお薦めできるけど、
同様に他の国でも最高のチャンスと体験が待っていると思う。
Wendy Dinsmore アメリカ 女性2017年5月30日に回答
私は1996年に日本とお別れしたわ。
悪いことが積み重なって来てるように見えたからよ。
阪神大震災、サリンガス襲撃、経済の衰退・・・
でも一番の理由は、私の職場の先行きが暗いと感じたからよ。
(ゲーム会社で広告作成をしてた)
経営陣はいつもコストダウンの話ばかりしてたわ。
そして会社で奇妙なことをやり始めたのよ。
トイレからペーパータオルを無くしたり、
夕方6時以降には照明を消したりとかね。
これは「リストラ(restructuring/layoffs)」も近いかと察した私は、
アメリカに帰るときが来たなと感じたの。
それで私は泣きながら飛行機に乗ったってわけ。
その判断が正しかったかどうかは未だに分からないわ。
Mathieu Dutour アメリカ(フランス人) 男性2017年6月9日に回答
私が日本を去ったのは、
妻の仕事を見つけることができなかったからだ。
日本ではこれが、学術的な仕事を探す際に昔からの問題となってる。
就職するのが難しいし、あなたと配偶者の両方が学者であれば、
仕事を見つけることはさらに困難になるんだ。
日米状況比較の例:
カリフォルニア州では、法律によりUC制度で就職した場合、
大学はあなたの配偶者を雇用(資格に応じて)しなければならない。
日本では、あなたの妻が家にいるのが標準的なシステムの模様。
だから、大学はあなたの妻に仕事を提供しないことに関して
なんら痛痒を感じることはない。
故に私は日本を去った。
Michael Hacker アメリカ 男性2017年7月21日に回答
日本で暮らし、愛し、失った。
だから武道に邁進した。
気付けば日本で10年の歳月が流れていた。
皮肉なことに、俺が日本を離れることになった理由はその武道だった。
アメリカ在住の師匠と出逢い、彼に従うことを決めたんだ。
今は日本が酷く恋しくて常に帰り道を探している。
再び日本で暮らすことができるかどうか定かではないが、
俺はいつもそれを夢見ているよ。
G.K.S アメリカ 男性2017年8月11日に回答
大学時代から昨年までで合計23年間も日本で暮らしていた。
日本を、その文化を、その人々を、というかその全てを俺は愛してる。
だけど、もう帰国する時が来たんだと感じたんだ。
娘が日本の中学校に馴染めなかった。
今はこっちの高校でとても幸せそうにしてる。
Tony Kessler アメリカ 男性2017年6月3日に回答
俺は叫んでいたが、ほぼ文字通り蹴り上げられ引き摺られながら
アメリカへ強制送還させられた。
健康上の理由で仕方なくな。
日本では認められてない薬があるんだ。
アメリカでOKなのに日本だと駄目な薬が一杯あるんだよ。
Christopher Ayres アメリカ 男性2017年6月7日に回答
米海軍の仕事として5年滞在した日本を俺は愛してた。
それは俺がこれまでに住んだなかで最高の場所だったし、
キャリアと人生の両方のハイライトでもあったんだ。
残念無念なことに、海軍は
海外で働く市民の任期は5年間というポリシーを採用しているから俺は帰国せざるを得なかった。
だが俺は日本と日本人の友達が大好きだ。
もう直ぐ会いに行くから待ってくれれよ。
Craig Arthur イギリス人 男性2017年5月25日に回答
俺はまっとうな仕事が欲しかった。
だが俺の日本語はまっとうとは程遠かった。
日本の高校でALT[外国語補助教員]として2年間働いた。
大学を出たばかりの者が少しばかりの金を稼ぎ、
興味深いことを体験するには良い方法だったよ
だけどアレはキャリアじゃない。
凄く運が良い場合でも、賃金は永遠に据え置きで
1年に3万5千ドルを稼ぐことができるだろう。
でもこれが得ることのできる最高の対価なんだ。
まぁ生活はできるだろうけど、
野望を達成した結果とはとても言えないし、
むしろ野望が全て潰えたときの逃げ道としか思えない。
そこで俺は東京へ引っ越した。
数ヶ月ほど、英会話教室で世話になったんだが・・・オゥマイガッ!
彼らはもっと柔軟なスケジュールを約束してくれた。
だから思ったよ。
これで十分な金を稼ぎながら、日本語教室にも通うことができるってね。
でも、違ったよ。
英会話教室は生き地獄だった。そこでは仕事が人生。
仕事だけが、人生でやることの全てになるんだ。
夜9時に仕事が終わり、翌朝8時から仕事が始まる。
週末? 何それ美味しいの?
あそこはマジで恐ろしい所だった・・・
俺という存在を破滅寸戦にまで追い込んでくれたよ。
だけど俺はラッキーに恵まれた。
日本企業でのインターンシップ [実務研修] をゲットできたんだ。
そこはまぁOKだった・・・
エキサイティングじゃなかったが、
少なくとも俺はついにまっとうな仕事をすることができたんだから。
でも、俺が本当にやりたいことじゃなかったし本当に居たい場所でもなかった。
その会社は凄く因習的かつ年功序列の長老支配だと気づいたんだ・・・
その両方と俺は上手く付き合うことができずにいた。
そして限界に達した。
だから母国に帰って新たなキャリアを始めたよ。
だけど、その時はまだいつか日本へ戻るつもりだったんだ。
まず、1-2年まともな仕事の経験を積みながら金を貯める。
そして日本に戻ってJLPT [日本語能力試験] の高レベルに合格してから
まっとうで良い仕事をゲットする。
それが俺の野望だったんだ。
だけど現実はそうはならなかった。
意中の欧州の地域で仕事にありつけることになったから・・・
そんで今もそこ居るナウ。
日本でまっとうな仕事を得るには次の2つのうちのどれかが必要だ。
1:既に非常に高いレベルのキャリアを積んでいること
2:既に日本語が超ペラペラであること
日本企業は外国人志望者が持ってるスキルや資格に興味なんかない。
ただただ、日本語が話せるどうかに関心があるんだ。
英会話教室が外国人の地獄になってた?!一昔前は、むしろ天国のような所だと言ってなかったかな。
だから、楽して稼いで日本を満喫したいと考えてる外国人の
温床みたいになってて、まともな外国人から白眼視される。
以前、英語教師・英会話講師をネタにしてそんなイメージを持ったのだけど、
30歳を超えても日本で英語を教えてる奴はルーザー?【海外掲示板】
g-raf
俺の私見を言わせてもらおう。
大学の英語講師、または民間語学スクールの英語教師として直接雇用
されているのならOKだ。
30代で派遣会社のALT [ 外国語補助教員 ] をやってるのなら
(俺はそういう人たちを大勢知ってる)、うーむ・・・・・・何故だ!?
もうとっくに荷物をまとめて国に帰る時期が来てるだろ。
rubirosa
最近、日本で教えてる英語教師バッシングを良く見かけるんだけど、
その度にマジでビックリさせられるわー。
一体どうしてなんだい??
ノバの " ピー " 達をディスるのはまだ理解できるんだが、
ここで英語教師たちを攻撃するのに使われてる言葉の激しさには
尋常じゃないものがあるだろ。
なんでそこまで他人の仕事が気になるっていうんだ??
これは10年前の海外掲示板を翻訳したものだけど、
英会話教室はまだセーフみたいな認識でしたよ。。
しかし、NOVAって久々に目にした。ありましたねぇ。
ともかく、昔は報酬も待遇もステータス?も揃ってた英会話教室ですが、
最近はもう失楽園しちゃったと・・・本当に残念でしたね。(棒
(関連:
外国人「なぜ日本の英会話学校の教師職は中傷される?」)
さて、本題の外国人が長く住んだ日本を出て行った理由ですが、
日本が好きだけど仕方なく離れたそういう話が多くて、有難いやら悲しいやらでした。
もっとこう、福島とか民族性とかでコメが占められてるかもと
心配してたので、ちょっと意外な結果だったり。
ただ、キャリアアップできないから、仕事が見つからないから、
母国に帰る外国人が多くいそうなのが残念。
移民受け入れを導入する前に、日本で暮らしていて既に言葉や習慣が
身についてる外国人たちを活用することを検討して欲しいなと。
夫婦で雇い入れるアメリカの大学の話とか素直に感心させられたよ。
個人的には、こういう人生が凝縮されてるようなコメントが好き。
何か心がキュってなる。(え
だから、あまり需要がなさそうだけど今後もこの手の記事を書いていきます。
ふぅ、あの外国人たちが故郷や新天地で成功してるといいね。
日本に心を残しながらインドに帰っていった女性が夢を叶えていますように。
外国人が書いた日本LOVE本が増えたなぁ。いや、嬉しいことだけど、これだけの数が出回ると
全て読むのは無理なので取捨選択が難しいよ。
NHK『テレビで中国語』の人、初めて知った。
あまりにも直球なタイトルに好感を持ったのでプッシュ。
最果てのパラディンもコミカライズ出たか・・・間に合わん。
「ファスナー改良版
日本製YKKファスナー採用」の言葉に惹かれて。^^
◆
人を楽にしてくれる国・日本~韓国人による日韓比較論~ ◆
日本が好き!◆
最果てのパラディンI (ガルドコミックス)◆
ファスナー改良版 ウエストバッグ 日本製YKKファスナー採用
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