J K 9 か月前(編集済み)
10歳の頃に暮らしていた日本での出来事を今でも憶えている。
私が本屋から外へ出たまさにその時、同じ年の可愛い女の子が恥ずかしそうに手を差し出して良かったら一緒に歩きませんかと聞いてきたのだ。
この曲は私たちがラーメンを食べる為に寄った店のラジオから流れていた。
彼女は決して自分の名前を教えてくれようとはしなかったが、手を繋いで散歩したりピクニックしたりする次の日時だけは必ず伝えてくれていた。
ようやく秘密を打ち明けてくれたのは出逢ってから数カ月後のことだ。
ミツキ(Mitsuki)、それが彼女の名前だった。
私たちは親しい友人になったが、13歳の時に私の両親がアメリカで仕事をすることになったので、お互い涙と鼻水を流しながら別れなければならなかった。
その後、私は彼女に手紙を送り続けた。彼女も必ず返信してくれた。
22歳の時だった。
突然、彼女からの手紙が途絶えた。
私はきっと彼女は亡くなってしまったんだと思った。
それから5カ月が過ぎた頃のことだった。アメリカの自宅の玄関を開けると、彼女がそこにいて私に手を差し出してくれたんだ。
私たちは今40代になり結婚しているが、世界中のいろんな街を一緒に連れ立って歩いている。その際にはいつも麺類のある店に立ち寄り、携帯でこの曲を二人で聴いてきた。
ありがとうマリヤ。貴方の愛はプラスティック(見せかけ)かもしれないが、私の愛はこの歌のお陰で美しいままだ。
子供たちと一緒であろうとなかろうと、手を繋いでティーンエージャーの様に、いやもっと小さな子供の様に振舞いながら東京で買い物をしている中年カップルをもし君が見かけたら、それはきっと私たちだ。
・なんてスイーツで心温まる話なんだ!
ネット時代の前、本当に愛する人と会う為に人々がどれほど懸命になっていたかを思うと心に染みるよ。
・俺は作家なんだけどパクりたくなったよ。許可をくれないか?
・和みの極みが凄かったわ
・最高すぎるからまるでおとぎ話みたいだよ!末永くお幸せに!
・俺が送りたかった人生がこんなだわ
・ロマンティックすぎてウンコ漏れたよ!(原文ママ)
・これってもうアニメじゃね??? リアルでこんなんアリ???
・涙が出ちゃいそう。あなたは素晴らしい愛のある人生を送ってるわ
・お前のハンドルネームJ Kは 'just kidding'(ほんの冗談)てこと?
・Jiro(J K本人のレス)
・あぅぅとってもキュート!あなた達の絆が永遠に続きますように
・この話に出会えたことを神に感謝します。二人に神のご加護を
・このジョークのオチはいつ来るんだと考えながら読んでたけど・・・純粋にホッコリする話だった。オメデトー!(Omedetoo!)
・わ~お、この物語は俺に生きる力を与えてくれたぜ!
・つまり、お前の両親は僅か10歳の息子が少女と二人だけで何処かへ行くのを構いもしなかっただけじゃなく、赤の他人とラーメン屋で食事するお金まで渡していたってことか・・・とてもラブリーな話だが、メチャクチャ胡散臭い話でもあるな。
・君は日本へ行ったことが一度もないみたいだね(J K本人のレス)
・これは100パー作り話。イイねと安っぽい称賛コメントが欲しくてYoutubeに戯言をタイプするのは止めろ。
こんなアホらしいことを吹聴するぐらいなら、ティーンエージャー向けの本にでも書けばいいんだよ。そしたら少なくとも小遣い銭ぐらいは稼げるぜ。
あーあ、お前の糞コメのせいでこの曲が台無しになっちまった。
この話は真実ではないと疑ってる訳ではないのだけど、怪しい程この動画とそっくりなのよねえ。 → https://youtu.be/ZVlZMOB-Sq0
「フクエに何が起こったのか?」
それは数十年という年月と異なる大陸と文化にまたがる謎であり、トロントの一人の女性と彼女の子供時代との架け橋でもあるのです。
1988年、ジェシカ・スチュアートが九歳の時です。彼女の家族は、彼女の人生に大きな影響を与えることになる文化的な大冒険に乗り出しました。スチュアート家はバンクーバーのユダヤ人コミュニティーの中流階級に根を下ろしたルーツを掘り起こし、それを1年間、日本の田舎町サクに植え替えたのです。
ジェシカが、バラ色の赤い頬にいつも笑みを浮かべた明るく陽気な女の子、フクエと出会ったのは、その楽しくて夢中になった年のことでした。フクエとジェシカは姉妹のようになり、秋の紅葉で戯れ、雪に覆われた木々の下で踊り、春には地平線を彩るたくさんの熱気級に目を輝かせ、初夏にはこっそりと田んぼを通り抜けた。
不思議なことに、フクエは決して自分の家にジェシカを招待しようとはしませんでした。ある日の放課後、ジェシカはどうしてもと言い張り、フクエがしぶしぶジェシカを連れて帰った家、それは町のはずれにある荒れ果てた掘っ立て小屋でした。ジェシカはショックを受け動揺すると共にフクエが学校で受けていた悪口やいじめを理解し始めました。
スチュアート家の日本滞在が終わると、ジェシカとフクエはお互いに連絡を取り合うことを約束しました。二人はペンフレンドとなり、2年間手紙のやり取りを続けました。
何の説明もなく、フクエからの手紙が途絶えるまでは。
現在、30代でミュージシャンのジェシカは、フクエのことを忘れることは決してありませんでした。一緒に過ごした彼女との思い出は美しいだけでなく、ずっと心に残るものだったのです。それ故にジェシカの思いは未だに解かれていない謎へと向かいます。
「フクエは今何処にいるの?」「私の事を憶えているの?」「何故ずっと便りをくれないままなの?」
ジェシカは、日本を離れてから30年近く経った今、これらの疑問に対する答えを求めて戻ってきました。彼女はフクエを探し出すつもりなのです。
🌹拡散希望
— 佐久市長 柳田清二 (@Seiji_Ya) May 3, 2018
【親友を会うためにカナダから】
カナダ国営放送からの取材。平成5年~6年にかけて佐久市に暮らし岩村田小学校に通っていたカナダ人女性ジェシカさんが親友だった富久枝さんを探す旅。
佐久市はどんな街でどういう発展を遂げたのかについて話しました。
どうか、見つかりますように! pic.twitter.com/PFsPa66z5X
🌹拡散希望
【親友を会うためにカナダから】
カナダ国営放送からの取材。平成5年~6年にかけて佐久市に暮らし岩村田小学校に通っていたカナダ人女性ジェシカさんが親友だった富久枝さんを探す旅。
佐久市はどんな街でどういう発展を遂げたのかについて話しました。
どうか、見つかりますように!
竹内まりや「Plastic Love」の動画に寄せられた大勢の外国人を感動させているコメントが作り話っぽいので掘り下げたら本物の感動秘話が出てきた https://t.co/wYvZO65brc
— えいち@誤訳御免Δ Lv. 17 (@goyaku_delta2) March 4, 2021
長野県佐久市で富久枝さんを探すカナダのジェシカさんがおよそ30年ぶりの日本で見つけたものは・・・ pic.twitter.com/duQxaiVgX3
≪ 通説「手塚がアトムを超安値で売ったらから今もアニメ製作費が安くて苦労してる」 手塚治虫「そんな世間知らずなことを言う奴らはバカ」← 生前のテレビアニメ生みの親はマジギレして反論してた件 | TOP | ナチス宣伝相ゲッベルスが美貌の天才ヴァイオリニスト諏訪根自子に贈ったストラディバリウス 前編 【生誕100周年記念】 ≫
≪ 通説「手塚がアトムを超安値で売ったらから今もアニメ製作費が安くて苦労してる」 手塚治虫「そんな世間知らずなことを言う奴らはバカ」← 生前のテレビアニメ生みの親はマジギレして反論してた件 | TOP | ナチス宣伝相ゲッベルスが美貌の天才ヴァイオリニスト諏訪根自子に贈ったストラディバリウス 前編 【生誕100周年記念】 ≫